今回はブルガリア北部の民族舞踊およびその音楽として知られるガンキノ・ホロ(Gankino Horo、Ганкино Хоро)を取り上げます。
最初にブルガリア、ではなく、チェコのボタン式(クロマチック)アコーディオン奏者、ミラン・ジェハーク(Milan Řehák)が演奏するガンキノ・ホロから始めます。
Gankino Horo (Bulgarian Suite by V. Semionov) | Milan Řehák - accordion [OFFICIAL VIDEO]
- 演奏 :Milan Řehák
- タイトル:Bulgarian Suite: III. Gankino Horo
- アルバム:Essential
- メディア:CD, Streaming (YouTube, Amazon & Spotify)
- リリース:2022.11.7
生き生きとした演奏も素晴らしいですが、変化に富んだ表情がとにかく楽しそう。ボタンアコの白黒ボタンの配置がエッシャーのタイル画のように幾何学的でお洒落です。
この楽曲は、アコーディオン独奏のために作られた「ブルガリア組曲」という音楽の1つとして、世界のアコーディオン奏者に広く知られています。アコーディオンの国際コンクールの課題曲にもなるとのこと。ジャズやクレズマーのバンド演奏でも、ガンキノ・ホロと言えばたいていこの曲が演奏されます。
しかし、ブルガリア組曲と言うからにはこの音楽のどの辺がブルガリアなのか、どんな背景やルーツがあるのか、そもそも「ガンキノ」って何なのか、いろいろ気になってきます。
今回はこのガンキノ・ホロのちょっと深いところを踊りと音楽の両面から迫ってみたいと思います。ブルガリアのリズムについても今回は少しマニアックに掘り下げます。
ガンキノ・ホロのルーツ
ガンキノ・ホロは、ブルガリア北部、セヴェルニャシュカ(Severnyashka)民俗地域*1の伝統的な舞踊の1つ。ブルガリアとルーマニアを分けるドナウ川とブルガリアの中央に横たわるバルカン山脈に挟まれたドナウ平原地帯の、プレヴェン、ヴラッツァ(オリャホヴォ、ビャラ・スラティナ)あたりの踊りとされます [taratanci]。
踊り方は、具体的には映像で確認するのが手っ取り早いので、最も基本的なステップの例を1つ紹介します。
冒頭でジェハークが弾いていたガンキノ・ホロとはメロディが異なりますが、リズムは同じで踊りには問題ありません。上の動画のように、基本的には3小節のダンス・フレーズで前進後退しながら円の周りを回って行く、ホロという踊りの一種です。
実際には、先頭の人(リーダー)の合図とともにステップが複雑に変化します。ステップの仕方にはいくつかモチーフがあり、リーダーは即興的にこれらをうまく組み合わせてステップを変えて行きます。他の人たちもリーダーの動きに素早く合わせて踊ります。
踊りの名称の「ガンキノ(Gankino)」は、もとはガーナ(Gana)という美しい女性(少女)が歌に詠まれたこの地域の民間伝承の民謡に由来します。
「Gankino」は、「Gana」に小さいかわいいものを指す「-ka」がついた「Ganka」から派生した言葉で、「ガンカの~」を意味する形容詞です。「ガンキノ・ホロ」は、ずばり「ガンカのホロ」。日本語と似ているのは面白そうに見えますが、偶然ですのでご注意を。
他、地域によってガニノ・ホロ、ガニナタ、ガンキナタ、ガンキノト・ホロなど、さまざまな呼び方があります。
この民謡について、いくつかの資料 [taratanci, Leegwater 1987] によれば、「ザトゥリラ・シ・ガーナ・クリヴォ・ペーロ」(Zatrila si Gana krivo pero、ガーナは羽根を(髪に)刺していた*2)という民謡とのこと。これは前述のプレヴェン(セヴェルニャシュカ民俗地域)と首都ソフィア(ショプスカ民俗地域)のほぼ中間にある山岳地域の町テテヴェンの周辺に伝わる民謡です [Stoin 1928] 。
しかし、ブルガリア系アメリカ人の作曲家で民族音楽学者のボリス・クレメンリエフ(Boris Kremenliev、1911-1988)によれば、ザトリラ・シ・ガーナ・クリヴォ・ペーロの歌は9拍子とのこと [Kremenliev 1952] 。ガンキノ・ホロは11拍子(詳細は後述のガンキノのリズム参照)とされていますので、拍子が異なるように思います。
古い民謡はたいてい口頭伝承ですのでこのような矛盾はよくありがちですが、今のところ詳細はわかりません。
ガンキノ/コパニッツァのリズム
この踊りと音楽で特筆すべきは、「ガンキノ/コパニッツァのリズム」[Petrov 2012, Unciano] と呼ばれる、音価の不均等な拍(ビート)で規定された独特のリズム感覚でしょう。
ブルガリアン・リズムの音楽を(特にバルカン地域の伝統文化の外側にいる人たちが)楽譜に起こすときには、音価の短い拍を短拍(ショート・ビート)、長い拍を長拍(ロング・ビート)として区別し、これらの組み合わせとして小節のビートを捉えなおします。短拍は「♪」、「2」または「Q(uick)」、長拍は「♪.」、「3」または「S(low)」などと記号化されます。
この暗黙のお約束を踏まえた上で、「ガンキノ(またはコパニッツァ)」の1小節は「♪♪♪.♪♪」、「2-2-3-2-2」、または「QQSQQ」のように書き表すのが習わしです。この不均等な長さの5拍のビートを、楽典*3的には11拍子と(再)解釈します。
ただし実際には、長拍の長さが短拍のそれの2分の3倍と正確に決まっているわけではないようで、例外もたくさん出てきます。伝統的な(特にロマの)演奏者たちは楽典ではなく自分たちの感覚に従って演奏していましたので、楽典の記譜法でうまく表せないのは当然でしょう。
それでも不規則なビートのコツを掴んだり理論的に音楽の構造を分析するには有効な方法です。ひとまずはこのご利益に預かりましょう。
さて、この「ガンキノ」の拍子をもとに、踊りでは脈動的な動きによってリズムが作られます。1拍目と2拍目はステップで動きに勢いをつけ、3拍目で動きを維持し、そして4拍目または5拍目のどちらかで(ホップ、タッチまたはバウンズで)動きを抑えるという、加速・維持・減速のリズムです。
音楽についても基本的には同じですが、ブルガリア組曲のガンキノ・ホロのようにスピード感のある曲の場合は、次の譜例(※適当です)のように長拍の「3」をさらに「2-1」のように細かく刻んでノリを強めているように思います。
上段は各小節最初と最後の「2-2」の部分がそれぞれスピード感のある流れやアクセントを作っています。そしてそれらの間に「2-1」が挟まることで、緊張、少し不安定な間、また緊張、というようなリズムが作られます。
「2-2」よりはちょっと短い「2-1」のおかげで、均等な6ビートより少し前のめりなスピード感が出てくるように思います(※個人の感想です)。
ブルガリア組曲のルーツ
冒頭で紹介した音楽のガンキノ・ホロは、ブルガリアではなくチェコのミラン・ジェハークが演奏していました。
作曲は、これまたブルガリアではなく、ロシアの作曲家でバヤン奏者のヴィチェスラフ・セミョーノフ(Vyacheslav A. Semionov、1946- )。彼の1975年の作品「ブルガリア組曲」の1つです。セミョーノフはブルガリアの3つの名曲をバヤン(ロシア式ボタン・アコーディオン)の演奏用にアレンジし、組曲として再構成しました。セミョーノフ本人が演奏している映像がありましたので、併せてご確認を。(7分34秒あります。各曲の開始時間は動画の下の説明文参照のこと。)
V. Semionov. Bulgarian Suite. Performed by the author
- Daychovo horo (2:04)
- Sevdana (3:15)
- Gankino horo (5:36)
- 映像:Анатолий Морозов (2014)
第1番はダイチョヴォ・ホロ(Daychovo horo)。ガンキノ・ホロと同じくブルガリア北部地域の9拍子(2-2-2-3)の踊りにあてた曲です。
第2番はセヴダナ(Sevdana)。ブルガリアのクラシック楽曲から取られています。オリジナルはゲオルギ・ズラテフ=チェルキン(Georgi Zlatev-Cherkin、1905-1977)の1944年の作品です。曲名は、かつてズラテフ=チェルキンが恋した(と思われる)女性の名前とのこと。ブルガリアでは有名な(しかし世界ではあまり知られていない)バイオリンとピアノのための曲とのことです*4。
そして第3番が今回のテーマのガンキノ・ホロです。
1975年の発表からすでに半世紀近く経つブルガリア組曲。その第3番に加えられた短い1曲のガンキノ・ホロのさらに大もとをたどることは、可能です。
Ганкино хоро
- 演奏 :Борис Карлов
- アルバム:Борис Карлов: акордеон
- レーベル:Balkanton, BHA-402
- リリース:1966, Bulgaria
この音源は、ブルガリアの伝説のアコーディオン奏者、ボリス・カルロフ(Boris Karlov)*5による演奏をレコーディングしたものです。
カルロフは1924年ソフィアのロマの生まれ。父はトランペット奏者で、オーケストラを指揮し、たびたびラジオ・ソフィアにも出演していました。幼い頃から音楽に親しみ、最初はオカリナ、フリューゲルホルン、タンブーラ、そして12歳でアコーディオンを始めました。
1950年から1960年にかけて、カルロフはブルガリアだけでなく、ユーゴスラビアやオーストリアでも引っ張りだこに。多忙なコンサート・スケジュールをこなし、好意的な評価を得ていました。
アコーディオンでは新しい演奏スタイルを確立。ブルガリアの伝統楽器(ガイダやカヴァル)で演奏されていた不規則なリズムの短くシンプルで速いフレーズを基本に、ブルガリア音楽の特徴を残したまま、ホラの形式を革新しました。
Boris Karlov / Борис Карлов (музикант)
Wikipedia(英語 / ブルガリア語)
上記カルロフのガンキノ・ホロの音源がいつ演奏されたものかは定かではありませんが、彼の全盛期である1950年代から彼が亡くなる1964年(ユーゴスラビアでのライブ・ツアー中に急逝、40歳)までの間と思われます*6。
セミョーノフのブルガリア組曲より10年以上早く、おそらくこの曲がオリジナルであろうと思われます。
ところでこのカルロフのガンキノ・ホロは、いくつかのフレーズの単純な繰り返しのようでいて、実はなかなか技巧的に作り込まれているように思います。
段落構成
- (A A B B) (A A B B) (C C) (D D') (C C)
- (A A B B) (C C) (D D') (C C)
- (A A B B) (C C) (D D')
A,B,C,D: 各4小節、D': 3小節
段落ごとに長さが異なっていたり、接続詞的なフレーズ(C C)が挟まっていたり、似ているけれど異なる4小節(D)と3小節(D')のフレーズで不安定さを醸し出していたりと、あちこち図ったように変則的な技を仕掛けてきます。
カルロフが「伝説」と呼ばれるのもなるほどという気がしました(※個人の感想です)。
ちなみに、セミョーノフのブルガリア組曲の第1番のダイチョヴォ・ホロも、その大もとはボリス・カルロフのレコードにあります。
Дайчово хоро
- 演奏 :Борис Карлов
- アルバム:Борис Карлов: акордеон
- レーベル:Balkanton, BHA-402
- リリース:1966, Bulgaria
この曲もとても面白いのですが、すでに話題が脱線しすぎているので、また別の機会にでも。
まとめ
ブルガリア北部地域の民族舞踊のガンキノ・ホロについて、その踊りと音楽の背景を紹介しました。踊りの名称の由来、民謡、そしてガンキノ/コパニッツァのリズムにも触れましました。
またブルガリア組曲のガンキノ・ホロのルーツをたどり、伝説のロマのアコーディオン奏者ボリス・カルロフの音源を紹介しました。
ガンキノ・ホロの音楽は今回紹介したメロディのものだけではありません。他にも無数に存在します。カルロフ自身もメロディの異なるガンキノ・ホロの音源(少なくとも4種類)をレコードに残しています。
そこで最後にもう1曲。ボリス・カルロフのガンキノ・ホロの、前出のものとは異なるメロディの曲を紹介します。こちらはアコーディオン奏者コスタ・コレフ(Kosta Kolev)とのデュオです。
Борис Карлов Коста Колев Ганкино хоро(1953)
- 演奏 :Борис Карлов i Коста Колев
- アルバム:Ганкино Хоро / Право Хоро?
- レーベル:Орфей? Balkanton?
- リリース:1953, Bulgaria
- 映像 :Gramophone record БГ.
大きいのに片面に1曲しか入らない、10インチ78回転のレコード盤が時代を物語っています。レコード針の雑音も含めて味のある1曲。1950年代ブルガリアの情景が目に浮かぶようです。■
【参考】
- taratanci: "Ганкино хоро"(ブルガリア語)[html]
- J. Leegwater (1987): "GANKINO HORO," Dance Notes, Folk Dance Federation of California, South, Inc. [pdf]
- V. Stoin (1928): No. 3946, Narodni pesni ot Timok do Vita, Sofia, p. 1056.
- B. Kremenliev (1952): Example 160, Bulgarian-Macedonian folk music, University of California Press, p. 91.
- B. Petrov (2012): "Bulgarian Rhythms: Past, Present and Future," Dutch Journal of Music Theory, Vol. 17, No. 3, pp. 157-167.
- R. Unciano: "Gankino, Kopanica, and More in 11/16," Folk Dance Federation of California, South, Inc. [html]
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【今回紹介した楽曲】
*1:民俗地域(folklore region, folklorna oblast)は行政区分としての「地方」ではないことに注意。地理的区分の北ブルガリア(セヴェルナ・ブルガリア(Severna Bŭlgariya))の東側の一部(ドブルジャ)を除いておおよそ重なる。隣接するドブルジャ民俗地域との境界は明確ではなく、時代によっても範囲が異なる。
*2:この名称は歌詞の歌い出しの言葉であり、特定の題名がつけられているわけではない。他に「エス・ナゴーレ・ガーノ・エス・ナドーレ」(Es nagole, Gano, es nadole、上へ、ガーナよ、下へ)などとも呼ばれる。
*3:クラシックなどの音楽のルールをまとめたもの。音楽の文法。
*4:詳細はブルガリアのピアニストのゲオルギイ・チェルキン(Georgii Cherkin)のYouTube動画の説明欄 [link (英語)] を参照のこと。なお、ゲオルギイ・チェルキンはゲオルギ・ズラテフ=チェルキンの孫にあたる。
*5:1931年のホラー映画「フランケンシュタイン」でフランケンシュタイン役を演じたボリス・カーロフ(Boris Karloff)とは別人。
*6:レコードのリリース年はカルロフ没後の1966年であることに注意。他にも同じ楽曲を載せたレコードは複数出版されているが、当時のレコードの多くは出版年が明記されておらず、どれが初出か不明。