Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

【深掘り】Gankino Horo (Severnyashka, Bulgaria)

 今回はブルガリア北部の民族舞踊およびその音楽として知られるガンキノ・ホロ(Gankino Horo、Ганкино Хоро)を取り上げます。

 

 最初にブルガリア、ではなく、チェコのボタン式(クロマチック)アコーディオン奏者、ミラン・ジェハーク(Milan Řehák)が演奏するガンキノ・ホロから始めます。

 

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Gankino Horo (Bulgarian Suite by V. Semionov) | Milan Řehák - accordion [OFFICIAL VIDEO]

  • 演奏  :Milan Řehák
  • タイトル:Bulgarian Suite: III. Gankino Horo
  • アルバム:Essential
  • メディア:CD, Streaming (YouTube, Amazon & Spotify)
  • リリース:2022.11.7

 

 生き生きとした演奏も素晴らしいですが、変化に富んだ表情がとにかく楽しそう。ボタンアコの白黒ボタンの配置がエッシャーのタイル画のように幾何学的でお洒落です。
 この楽曲は、アコーディオン独奏のために作られた「ブルガリア組曲」という音楽の1つとして、世界のアコーディオン奏者に広く知られています。アコーディオンの国際コンクールの課題曲にもなるとのこと。ジャズやクレズマーのバンド演奏でも、ガンキノ・ホロと言えばたいていこの曲が演奏されます。
 しかし、ブルガリア組曲と言うからにはこの音楽のどの辺がブルガリアなのか、どんな背景やルーツがあるのか、そもそも「ガンキノ」って何なのか、いろいろ気になってきます。

 

 今回はこのガンキノ・ホロのちょっと深いところを踊りと音楽の両面から迫ってみたいと思います。ブルガリアのリズムについても今回は少しマニアックに掘り下げます。 

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ガンキノ・ホロのルーツ

 ガンキノ・ホロは、ブルガリア北部、セヴェルニャシュカ(Severnyashka)民俗地域*1の伝統的な舞踊の1つ。ブルガリアとルーマニアを分けるドナウ川とブルガリアの中央に横たわるバルカン山脈に挟まれたドナウ平原地帯の、プレヴェン、ヴラッツァ(オリャホヴォ、ビャラ・スラティナ)あたりの踊りとされます [taratanci]。

 

 

 踊り方は、具体的には映像で確認するのが手っ取り早いので、最も基本的なステップの例を1つ紹介します。

 

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ГАНКИНО ХОРО - NORTH BULGARIA

  • 映像提供:Bulg Folk, 2011

 

 冒頭でジェハークが弾いていたガンキノ・ホロとはメロディが異なりますが、リズムは同じで踊りには問題ありません。上の動画のように、基本的には3小節のダンス・フレーズで前進後退しながら円の周りを回って行く、ホロという踊りの一種です。

 実際には、先頭の人(リーダー)の合図とともにステップが複雑に変化します。ステップの仕方にはいくつかモチーフがあり、リーダーは即興的にこれらをうまく組み合わせてステップを変えて行きます。他の人たちもリーダーの動きに素早く合わせて踊ります。

 

 踊りの名称の「ガンキノ(Gankino)」は、もとはガーナ(Gana)という美しい女性(少女)が歌に詠まれたこの地域の民間伝承の民謡に由来します。

 「Gankino」は、「Gana」に小さいかわいいものを指す「-ka」がついた「Ganka」から派生した言葉で、「ガンカの~」を意味する形容詞です。「ガンキノ・ホロ」は、ずばり「ガンカのホロ」。日本語と似ているのは面白そうに見えますが、偶然ですのでご注意を。

 他、地域によってガニノ・ホロ、ガニナタ、ガンキナタ、ガンキノト・ホロなど、さまざまな呼び方があります。

 

 この民謡について、いくつかの資料 [taratanci, Leegwater 1987] によれば、「ザトゥリラ・シ・ガーナ・クリヴォ・ペーロ」(Zatrila si Gana krivo pero、ガーナは羽根を(髪に)刺していた*2)という民謡とのこと。これは前述のプレヴェン(セヴェルニャシュカ民俗地域)と首都ソフィア(ショプスカ民俗地域)のほぼ中間にある山岳地域の町テテヴェンの周辺に伝わる民謡です [Stoin 1928] 。

 

 しかし、ブルガリア系アメリカ人の作曲家で民族音楽学者のボリス・クレメンリエフ(Boris Kremenliev、1911-1988)によれば、ザトリラ・シ・ガーナ・クリヴォ・ペーロの歌は9拍子とのこと [Kremenliev 1952] 。ガンキノ・ホロは11拍子(詳細は後述のガンキノのリズム参照)とされていますので、拍子が異なるように思います。

 古い民謡はたいてい口頭伝承ですのでこのような矛盾はよくありがちですが、今のところ詳細はわかりません。

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ガンキノ/コパニッツァのリズム

 この踊りと音楽で特筆すべきは、「ガンキノ/コパニッツァのリズム」[Petrov 2012, Unciano] と呼ばれる、音価の不均等な拍(ビート)で規定された独特のリズム感覚でしょう。
 ブルガリアン・リズムの音楽を(特にバルカン地域の伝統文化の外側にいる人たちが)楽譜に起こすときには、音価の短い拍を短拍(ショート・ビート)、長い拍を長拍(ロング・ビート)として区別し、これらの組み合わせとして小節のビートを捉えなおします。短拍は「♪」、「2」または「Q(uick)」、長拍は「♪.」、「3」または「S(low)」などと記号化されます。

 この暗黙のお約束を踏まえた上で、「ガンキノ(またはコパニッツァ)」の1小節は「♪♪♪.♪♪」、「2-2-3-2-2」、または「QQSQQ」のように書き表すのが習わしです。この不均等な長さの5拍のビートを、楽典*3的には11拍子と(再)解釈します。

 ただし実際には、長拍の長さが短拍のそれの2分の3倍と正確に決まっているわけではないようで、例外もたくさん出てきます。伝統的な(特にロマの)演奏者たちは楽典ではなく自分たちの感覚に従って演奏していましたので、楽典の記譜法でうまく表せないのは当然でしょう。

 それでも不規則なビートのコツを掴んだり理論的に音楽の構造を分析するには有効な方法です。ひとまずはこのご利益に預かりましょう。

 

 さて、この「ガンキノ」の拍子をもとに、踊りでは脈動的な動きによってリズムが作られます。1拍目と2拍目はステップで動きに勢いをつけ、3拍目で動きを維持し、そして4拍目または5拍目のどちらかで(ホップ、タッチまたはバウンズで)動きを抑えるという、加速・維持・減速のリズムです。

 音楽についても基本的には同じですが、ブルガリア組曲のガンキノ・ホロのようにスピード感のある曲の場合は、次の譜例(※適当です)のように長拍の「3」をさらに「2-1」のように細かく刻んでノリを強めているように思います。

 上段は各小節最初と最後の「2-2」の部分がそれぞれスピード感のある流れやアクセントを作っています。そしてそれらの間に「2-1」が挟まることで、緊張、少し不安定な間、また緊張、というようなリズムが作られます。

 「2-2」よりはちょっと短い「2-1」のおかげで、均等な6ビートより少し前のめりなスピード感が出てくるように思います(※個人の感想です)。

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ブルガリア組曲のルーツ

 冒頭で紹介した音楽のガンキノ・ホロは、ブルガリアではなくチェコのミラン・ジェハークが演奏していました。
 作曲は、これまたブルガリアではなく、ロシアの作曲家でバヤン奏者のヴィチェスラフ・セミョーノフ(Vyacheslav A. Semionov、1946- )。彼の1975年の作品「ブルガリア組曲」の1つです。セミョーノフはブルガリアの3つの名曲をバヤン(ロシア式ボタン・アコーディオン)の演奏用にアレンジし、組曲として再構成しました。セミョーノフ本人が演奏している映像がありましたので、併せてご確認を。(7分34秒あります。各曲の開始時間は動画の下の説明文参照のこと。)

 

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V. Semionov. Bulgarian Suite. Performed by the author

  1. Daychovo horo (2:04)
  2. Sevdana (3:15)
  3. Gankino horo (5:36)
  • 映像:Анатолий Морозов (2014)

 

 第1番はダイチョヴォ・ホロ(Daychovo horo)。ガンキノ・ホロと同じくブルガリア北部地域の9拍子(2-2-2-3)の踊りにあてた曲です。

 第2番はセヴダナ(Sevdana)。ブルガリアのクラシック楽曲から取られています。オリジナルはゲオルギ・ズラテフ=チェルキン(Georgi Zlatev-Cherkin、1905-1977)の1944年の作品です。曲名は、かつてズラテフ=チェルキンが恋した(と思われる)女性の名前とのこと。ブルガリアでは有名な(しかし世界ではあまり知られていない)バイオリンとピアノのための曲とのことです*4

 そして第3番が今回のテーマのガンキノ・ホロです。

 

 1975年の発表からすでに半世紀近く経つブルガリア組曲。その第3番に加えられた短い1曲のガンキノ・ホロのさらに大もとをたどることは、可能です。

 

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Ганкино хоро

  • 演奏  :Борис Карлов
  • アルバム:Борис Карлов: акордеон
  • レーベル:Balkanton, BHA-402
  • リリース:1966, Bulgaria

 

 この音源は、ブルガリアの伝説のアコーディオン奏者、ボリス・カルロフ(Boris Karlov)*5による演奏をレコーディングしたものです。

 カルロフは1924年ソフィアのロマの生まれ。父はトランペット奏者で、オーケストラを指揮し、たびたびラジオ・ソフィアにも出演していました。幼い頃から音楽に親しみ、最初はオカリナ、フリューゲルホルン、タンブーラ、そして12歳でアコーディオンを始めました。

 1950年から1960年にかけて、カルロフはブルガリアだけでなく、ユーゴスラビアやオーストリアでも引っ張りだこに。多忙なコンサート・スケジュールをこなし、好意的な評価を得ていました。

 アコーディオンでは新しい演奏スタイルを確立。ブルガリアの伝統楽器(ガイダやカヴァル)で演奏されていた不規則なリズムの短くシンプルで速いフレーズを基本に、ブルガリア音楽の特徴を残したまま、ホラの形式を革新しました。

Boris Karlov / Борис Карлов (музикант)
Wikipedia(英語 / ブルガリア語

 上記カルロフのガンキノ・ホロの音源がいつ演奏されたものかは定かではありませんが、彼の全盛期である1950年代から彼が亡くなる1964年(ユーゴスラビアでのライブ・ツアー中に急逝、40歳)までの間と思われます*6

 セミョーノフのブルガリア組曲より10年以上早く、おそらくこの曲がオリジナルであろうと思われます。

 

 ところでこのカルロフのガンキノ・ホロは、いくつかのフレーズの単純な繰り返しのようでいて、実はなかなか技巧的に作り込まれているように思います。

 

段落構成

  1.  (A A B B) (A A B B) (C C) (D D') (C C)
  2.  (A A B B) (C C) (D D') (C C)
  3.  (A A B B) (C C) (D D')

 A,B,C,D: 各4小節、D': 3小節

 

 段落ごとに長さが異なっていたり、接続詞的なフレーズ(C C)が挟まっていたり、似ているけれど異なる4小節(D)と3小節(D')のフレーズで不安定さを醸し出していたりと、あちこち図ったように変則的な技を仕掛けてきます。

 カルロフが「伝説」と呼ばれるのもなるほどという気がしました(※個人の感想です)。

 

 ちなみに、セミョーノフのブルガリア組曲の第1番のダイチョヴォ・ホロも、その大もとはボリス・カルロフのレコードにあります。

 

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Дайчово хоро

  • 演奏  :Борис Карлов
  • アルバム:Борис Карлов: акордеон
  • レーベル:Balkanton, BHA-402
  • リリース:1966, Bulgaria

 

 この曲もとても面白いのですが、すでに話題が脱線しすぎているので、また別の機会にでも。

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まとめ

 ブルガリア北部地域の民族舞踊のガンキノ・ホロについて、その踊りと音楽の背景を紹介しました。踊りの名称の由来、民謡、そしてガンキノ/コパニッツァのリズムにも触れましました。

 またブルガリア組曲のガンキノ・ホロのルーツをたどり、伝説のロマのアコーディオン奏者ボリス・カルロフの音源を紹介しました。

 

 ガンキノ・ホロの音楽は今回紹介したメロディのものだけではありません。他にも無数に存在します。カルロフ自身もメロディの異なるガンキノ・ホロの音源(少なくとも4種類)をレコードに残しています。

 そこで最後にもう1曲。ボリス・カルロフのガンキノ・ホロの、前出のものとは異なるメロディの曲を紹介します。こちらはアコーディオン奏者コスタ・コレフ(Kosta Kolev)とのデュオです。

 

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Борис Карлов Коста Колев Ганкино хоро(1953)

  • 演奏  :Борис Карлов i Коста Колев
  • アルバム:Ганкино Хоро / Право Хоро?
  • レーベル:Орфей? Balkanton?
  • リリース:1953, Bulgaria
  • 映像  :Gramophone record БГ.

 

 大きいのに片面に1曲しか入らない、10インチ78回転のレコード盤が時代を物語っています。レコード針の雑音も含めて味のある1曲。1950年代ブルガリアの情景が目に浮かぶようです。■

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【参考】

  • taratanci: "Ганкино хоро"(ブルガリア語)[html]
  • J. Leegwater (1987): "GANKINO HORO," Dance Notes, Folk Dance Federation of California, South, Inc. [pdf]
  • V. Stoin (1928): No. 3946, Narodni pesni ot Timok do Vita, Sofia, p. 1056.
  • B. Kremenliev (1952): Example 160, Bulgarian-Macedonian folk music, University of California Press, p. 91.
  • B. Petrov (2012): "Bulgarian Rhythms: Past, Present and Future," Dutch Journal of Music Theory, Vol. 17, No. 3, pp. 157-167.
  • R. Unciano: "Gankino, Kopanica, and More in 11/16," Folk Dance Federation of California, South, Inc. [html]

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【今回紹介した楽曲】

Gankino Horo

Gankino Horo

  • Zornitsa Orchestra
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Bulgarian Suite in Three Parts, Pt. 3: Gankino Horo

Bulgarian Suite in Three Parts, Pt. 3: Gankino Horo

  • Viatcheslav Semionov
  • クラシック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
Ганкино Хоро

Ганкино Хоро

  • Борис Карлов
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Дайчово Хоро

Дайчово Хоро

  • Борис Карлов
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Gankino horo, Pt. 3

Gankino horo, Pt. 3

  • Boris Karlov
  • ワールド
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

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*1:民俗地域(folklore region, folklorna oblast)は行政区分としての「地方」ではないことに注意。地理的区分の北ブルガリア(セヴェルナ・ブルガリア(Severna Bŭlgariya))の東側の一部(ドブルジャ)を除いておおよそ重なる。隣接するドブルジャ民俗地域との境界は明確ではなく、時代によっても範囲が異なる。

*2:この名称は歌詞の歌い出しの言葉であり、特定の題名がつけられているわけではない。他に「エス・ナゴーレ・ガーノ・エス・ナドーレ」(Es nagole, Gano, es nadole、上へ、ガーナよ、下へ)などとも呼ばれる。

*3:クラシックなどの音楽のルールをまとめたもの。音楽の文法。

*4:詳細はブルガリアのピアニストのゲオルギイ・チェルキン(Georgii Cherkin)のYouTube動画の説明欄 [link (英語)] を参照のこと。なお、ゲオルギイ・チェルキンはゲオルギ・ズラテフ=チェルキンの孫にあたる。

*5:1931年のホラー映画「フランケンシュタイン」でフランケンシュタイン役を演じたボリス・カーロフ(Boris Karloff)とは別人。

*6:レコードのリリース年はカルロフ没後の1966年であることに注意。他にも同じ楽曲を載せたレコードは複数出版されているが、当時のレコードの多くは出版年が明記されておらず、どれが初出か不明。

【深掘り】Martesa / Kosovo

ひさびさの【深掘り】テーマです。

今回はコソボのフォーク・ソング〈Martesa〉(マルテサ)という曲を紹介します。

 

最初はアメリカのレコード会社EMG*1のMundoレーベルからリリースされたコンピレーション・アルバム《Kängät Dhe Vallet E Shqiperice -Songs and Dances of Albania-》(誤記アリ*2)の〈Martesa E Lumtun〉(マルテサ・エ・ルムトゥン)から始めます。

 

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Martesa E Lumtun

  • 作   :Gazmend Zajmi
  • 演奏  :Narodni Orkestar Radio Priština
  • 歌   :Ismet Peja
  • アルバム:Kängät Dhe Vallet E Shqiperice -Songs and Dances of Albania-
  • レーベル:Mundo Sounds / EMG, USA (2022 Remaster)

 

Martesaの意味は「結婚」です。コソボ辺りでは結婚式の定番曲のようで、生演奏、カラオケ、ダンス、DJのBGMなどで、この曲が用いられています。

楽曲のタイトルには

  • 〈Martesa〉(マルテサ:結婚)
  • 〈Martesa e lumtun〉(マルテサ・エ・ルムトゥン:幸せな結婚)
  • 〈Martesa Jonë〉(マルテサ・ヨーン:私たちの結婚)

など、いろいろな呼び方があります。

拍子は7/8拍子(♩.♩♩)。バルカン半島南部地域では民謡やポップスなどで広く用いられているお馴染みの拍子です。ダラブッカのオリエンタルな響きとハーモニック・マイナーのメロディが、この曲の独特なムードを演出しています。

 

ところで、この歌はアルバニア語で歌われています。ご存知の方にはそう不思議ではないかもしれませんが、コソボは旧ユーゴスラビア連邦域内にありながらスラブ系よりもアルバニア系の住民が多く住む地域です。

 

今回はコソボという地域事情やその後の楽曲の世界的な広がりなども織り交ぜながら、この〈Martesa〉という音楽のちょっと深いところを詳らかにしてみたいと思います。

(【深掘り】では文章量が多めなので目次が付きます。適宜休み休み読んでください。)

 

 

コソボとは?

そもそもコソボ(Kosovo、コソヴォ)ってどこ?と思っている人もいるかもしれませんので、まずその辺を先に片付けてしまいましょう。

 

下に地図を示しました。コソボはこの地図の真ん中に位置します。セルビア(北および東)、北マケドニア(南)、アルバニア(南西)そしてモンテネグロ(北西)に囲まれた内陸の地域です。

首都はプリシュティナ。地図右下の+ボタンで2回くらい拡大すると、地図の中央やや右側に出てきます。古代からエーゲ海とアドリア海を結ぶ陸路の要衝として栄えてきました。

コソボ第2の都市プリズレンも後で話題に出てきますので、ついでにご確認を。

 

 

コソボ地域の住民の大半はアルバニア系の人々です。他にセルビア系、トルコ系、そしてロマ(ジプシー)の人々も住んでいますが、あまり多くありません。

コソボは中世セルビア王国建国の地であり、またセルビア正教会の中心地でした。しかし1389年の「コソボの戦い」でセルビアはオスマン帝国に敗れこの地を失います。

1913年、バルカン戦争でセルビアがオスマン帝国からコソボを奪還。500年以上の時を経て、コソボは再びセルビアの一部(自治州)になりました。

このオスマン帝国統治の間、セルビア正教徒がこの地を離れる一方アルバニア人が入植してきたことにより、アルバニア系住民が多数派になっていったとのことです(諸説あるようです*3)。

現在ではコソボの人口の9割以上がアルバニア系住民で占められています*4。アルバニア系住民の出生率の高さに加え、1999年のコソボ紛争での非アルバニア系難民の流出も一因とされています。

 

2008年、コソボは”共和国”としてセルビアからの独立を宣言しました。セルビアは独立を承認していませんが、事実上コソボ政府がこの地を実効支配しています。

現在、国連加盟国のうち半数を少し上回る程度の国々がコソボを国家として承認しています(下図の青色の地域)。しかし承認しない(下図のオレンジ色)か、または態度を保留している国々も少なくありません。

 

AMK1211 and Mareklug (tracking changes in the PNG version and added Brunei and Northern Cyprus), Public domain, via Wikimedia Commons

 

このように、コソボ地域には地理的にも歴史的にも非常に複雑な事情が存在します。

本ブログでは、特に必要がなければ共和国か自治州かには触れず、地域の意味で「コソボ」の単語を用いることにします。

また地名の日本語表記には、「コソヴォ(セルビア語由来)」や「コソヴァ(アルバニア語由来)」ではなく、これまでの慣例に倣って「コソ」という表記を採用します。

 

楽曲とレコードの話

本題に戻ります。

楽曲〈Martesa E Lumtun〉は、1965年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のPGP-RTB*5レーベルからリリースされたEP版レコード《Šiptarske Narodne Pesme》(セルビア語:シプタルスケ・ナロドゥネ・ペスメ(アルバニアのフォーク・ソング))に収録されたのが初出です。

 

www.discogs.com

演奏はコソボの地元放送局ラジオ・プリシュティナの専属オーケストラの一つ、ナロドゥニ・オルケスタル・ラジオ・プリシュティナ(Narodni Orkestar Radio Priština(フォーク・オーケストラ))によるものです。ラジオ・プリシュティナ(現ラジオ・テレビ・プリシュティナ(RTP))というのは第2次世界大戦後に創立されたユーゴスラビアのラジオ放送局の一つ。当時はコソボのアルバニア系の人々によるアンサンブル(フォーク、ポップス、交響楽団、合唱団)を束ねる役割も果たしていました*6

そして歌には当時コソボで最も影響力があったフォーク歌手のイスメット・ペヤ(Ismet Peja)がソリストに起用されています。ペヤの柔らかい歌声がこの曲のムードをさらに引き立てています。

 

この楽曲〈Martesa E Lumtun〉を含む《Šiptarske Narodne Pesme》の全曲は、後に冒頭で紹介したコンピレーション・アルバム《Kängät Dhe Vallet E Shqiperice》に収められ、アメリカRequest Records社よりリリースされています*7

 

www.discogs.com

さらに、楽曲〈Martesa E Lumtun〉は〈Bračno Oro〉(ブラチノ・オロ)(北マケドニア語:結婚の踊り)というタイトルで、セルビア人舞踊家ツィガ・デスポトヴィッチ(Ciga Despotović)のダンス用レコード・アルバム《Sixteen Yugoslavian Dances Created By Ciga I Ivon Despotovic 3》にも加えられました。リリース年は1970年代。こちらも前述のユーゴスラビアPGP-RTBレーベルからリリースされています。

 

www.discogs.com

ついでに、1970~80年代にツィガ・デスポトヴィッチが振り付けた踊りがどんなものかも見てみましょう。

 

www.youtube.com

上の動画は2015年にポルトガルのリスボンで行われたダンス・ワークショップの様子です。西ヨーロッパをはじめ、アメリカ、カナダ、台湾、香港、そして日本でも同様に踊られています。

 

そして、おそらくはこのレコードが発信源になったのか、〈Bracno Oro〉というタイトルでこの曲を演奏している事例を、オランダ、ドイツやアメリカの動画で見つけることができます。

 

ちょっと一息。

〈Bracno Oro〉が音楽アーティストの楽曲になった一例です。ドイツ・ベルリンのブラス・バンド、シュナフトゥル・ウッフチーク(Schnaftl Ufftschik)の〈Bracno Oro〉です。

 

www.youtube.com

Bracno Oro

  • 演奏  Schnaftl Ufftschik
  • アルバム:Sabagold
  • 権利表記:℗ 2015 Schnaftl Ufftschik, Germany

 

ガズメンド・ザイミ

ところでこの曲、実は作者がはっきりしています。古くから伝わる伝統音楽でも口頭伝承の民謡でもありません。いわゆるフォーク・ソングですが、ジャンルとしてはモダン・フォークやポピュラー音楽の類です。

 

作詞作曲はガズメンド・ザイミ(Gazmend Zajmi、1936-1995)*8。本業は法律家・政治学者(!)です。

ユーゴスラビアのベオグラード大学法学部卒業後、プリズレン裁判所判事および所長、プリシュティナ大学教授、そして同大学の学長を歴任しました。しかしユーゴスラビア政府に対する学生の抗議運動に参加したために学長職を追われます。その後コソボの地位向上と民族自決のための政治活動に加わり、1990年には新憲法の起草、編集に携わり・・・

 

どうやらとんでもないコソボの重要人物を引き当ててしまったようです。

 

しかし、ザイミは音楽創作については独学でした。小中高時代はアコーディオン、マンドリン、ギターに熱中しますが、ピアノを始めたのはベオグラード大学卒業後にプリズレンに移ってからとのこと。それでも自由な時間のほとんどを音楽に捧げ、自ら結成したエンターテインメント・オーケストラを指揮し、ピアノではさまざまなジャンルの音楽を演奏しました。作曲本を3冊、歌集を2冊出版しています*9

現代のコソボを代表する音楽家・指揮者のラフェット・ルディ(Rafet Rudi)*10によれば、

 

彼の音楽は、常にコミュニケーション能力に優れており、リスナーに受け入れられやすかった。〈Martesa〉、〈Eja lule, lulëkuqe〉、〈S’mund të na ndal asnjë breg asnjë mal〉、〈Flutura〉、〈Xixëllonja〉などは、どこでも歌われた(そして今も歌われ続けている)曲である。 しかし残念なことに、彼は知識人として国民運動の分野で活動したために、その作品が常に芸術愛好家や人々の悩みの種となる作家の一人であった。 そのため、1981年以降、彼の歌は事実上すべてラジオやテレビから常に禁止されていた。しかし、それにもかかわらず、それらは絶えず歌われ、人々に好まれていた。

引用:Rafet Rudi: Gazmend Zajmi në muzikën shqiptare | Rafet Rudi - Composer & Conductor

 

なんと、1981年以降は放送禁止になっていたんですね。

 

〈Martesa〉は1960年代にコソボで生まれ、1970年代に現地の人々に愛されながらも、1980年代には放送禁止に。その一方、1970〜80年代にはこの曲に〈Bračno Oro〉という別のタイトルと踊りの振り付けが与えられ、姿を変えてコソボから遠く離れた欧米中日の国々に伝わり、そして今でも細く長く息づいている・・・

 

そのように考えてみると、この曲はとても数奇な運命をたどってきたのだなあと、感慨深くなります。今この曲が音楽ストリーミングを通して再び音楽楽曲として聴けるのも、実はとても奇跡的なことなのかもしれません。

 

なお、〈Martesa〉の作詞および作曲に対するザイミの音楽著作権は、現在もセルビアの音楽著作権団体SOKOJで管理されています。ザイミは1995年3月に亡くなっていますので、その翌年から70年後の2066年末までザイミの音楽著作権は存続します。

 

歌の中身

歌詞の著作権が存続しているので、ここで歌詞を書き出すのは控えます。できればザイミ著のオリジナル歌集の引用という形を取りたかったのですが、日本では入手できそうにありません。その代わり、どんなことが書いてあるのか雰囲気だけ触れておきたいと思います。

 

タイトルが示す通り「結婚」がテーマの歌です。

私たちの結婚は祝福されている、愛しい花の冠、ああ心は絶え間なく歌う、幸せの美しい歌を・・・(だいたいこんな意味)

 

 マールテーサー ヨーーナシュテルムトゥン
 コーノルズィミダシュ 二ーーース

 オーーゼーマル クンドパプシュエ
 カンテブクラトゥルム ニーーース

 アーーアーアー アーーアーアー
 アーーアーアー アーーアー

 オーーゼーマル クンドパプシュエ
 カンテブクラトゥルム ニーーース

 

こんな調子が最後までずっと続きます。もう幸せ以外に何も見えていないような感じの歌です*11

 

しかしこれ以上ないくらいハッピーな歌なのに、メロディがやたら重々しく哀愁を漂わせてくるのは何故なんでしょうね?


そしてもう一点。

オリジナルの歌は、標準アルバニア語ではなく、コソボ地域で話される北東ゲグ方言*12で歌われています。なので歌詞を書き起こしても自動翻訳ではうまく訳せません。やはり方言の規則性を掴みながら地道に辞書を引いてみるのが良いようです。

最近ではコソボだけでなくアルバニア本国の歌手もこの楽曲を歌っていますが、コソボ方言ではなく標準アルバニア語がよく使われているようです。それらを2、3曲聴き比べると、使っている単語や発音、活用語尾など、それぞれオリジナルとは少しずつ異なる特徴があることがわかります。語学的に面白い発見もいろいろあります。

 

そのことを踏まえて、ちょっと雰囲気の良い最近の曲を紹介します。コソボの首都プリシュティナ出身のアーティスト、アスィム・ガシの〈Martesa Jonë〉(マルテサ・ヨーン)です。

 

www.youtube.com

Asim Gashi - Martesa jonë (Full HD)

  • 歌   :Asim Gashi
  • アルバム:Unplugge 2
  • レーベル:Shpetasound (2020)
  • 映像  :Rexhep Ibrahimi (2018)

 

7/8拍子は、実はこういう雰囲気にもよく合うんですね。西洋音楽的には変拍子と言われたりしますが、ぜんぜんじゃないですよね。

イスメット・ペヤの〈Martesa E Lumtun〉と聴き比べて見ると、ちょこちょこ言っていることが違っていたり、”n”が”r”になっていたりすることがわかります。

 

まとめ

今回はコソボのフォーク・ソング〈Martesa〉という曲とその背景を深掘りしてみました。

この〈Martesa〉は、〈Martesa E Lumtun〉や〈Martesa Jonë〉という楽曲として、また〈Bračno Oro〉という名前*13の踊りの曲として、コソボやアルバニアだけでなく世界にも伝わりました。

コソボ地域の民族闘争の歴史に翻弄され、一時は聴けなくなっていたこともありましたが、今や音楽ストリーミングを通してこの楽曲が再び合法的に聴けるようにもなりました。

ガズメンド・ザイミの著作権は2066年末で失効します。そこから先は本当の「コソボの伝統民謡」になっていくんでしょうね。

 

最後に、オランダの自称”国内最小”のブラスバンド、ドゥ・スィンプル・ズィールン(De Simpele Zielen)の〈Bracno Oro〉を紹介します。

(西ヨーロッパのバンドなので、やはり〈Martesa〉ではなく〈Bracno Oro〉です。)

 

www.youtube.com

De Simpele Zielen - Bracno Oro 

  • 演奏  :De Simpele Zielen
  • 場所  :Netherland (2015)

 

このバンドは1990年からこのメンバーで活動しているのだとか。音楽の渋みもさることながら、動画中の写真の笑顔がとても微笑ましいです。自分も老後はこんな風に楽しく過ごせたらなと思ってみたりします。◼️

 

【今回紹介した曲(音楽ストリーミングで入手可能なもののみ)】

Martesa E Lumtun

Martesa E Lumtun

  • Mundo Sounds / EMG
Amazon
Bracno Oro

Bracno Oro

  • Schnaftl Ufftschik
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Martesa Jonë

Martesa Jonë

  • Asim Gashi
  • オルタナティブ・フォーク
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
 

*1:Essential Media Group LLC, FL, USA.

*2:正しくは、Këngët dhe Vallet e Shqipërisë(クングト・ゼ・ヴァレ・テ・シュチーパリース)。

*3:Kosovo - Wikipedia

*4:コソボ基礎データ|外務省

*5:PGP-RTBはセルビアの国営放送ラジオ・テレビ・ベオグラード(RTB)の音楽部門。クロアチアのレコード会社ユーゴトン(Jugoton)と双璧を成す、当時のユーゴスラビア連邦の2大レコード会社の一つ。現在はラジオ・テレビ・セルビア(RTS)が継承。

*6:Music composition and composers in Pristina - Wikipedia

*7:リリース年は不明(1969~1970年頃)。その後1971年にはEMG社が原盤権を所有。その後はおそらく廃盤。2022年、デジタル・リマスター版としてEMG社から再リリース。

*8:Gazmend Zajmi - Wikipedia

*9:Facebook: Colibris - Center for Development, Culture and Education, 2020年11月21日(要Facebookアカウント)

*10:Rafet Rudi - Wikipedia

*11:いちおう全文把握していますが出所不明のためここには書きません。知りたい方は個人的にご連絡を。

*12:ゲグ方言 - Wikipedia

*13:楽曲タイトルの変更は必ずしも著作権侵害には当たりませんが、著作者のオリジナルのイメージを壊してはいけないので、著作者人格権の範囲で許諾を要する場合があるそうです。

【音源紹介】Dedo Mili Zlatni (Macedonian region)

今回はバルカン半島南部・マケドニア地域の民謡〈Dedo Mili Zlatni〉(デド・ミリ・ズラタニ)を取り上げます。

 

www.youtube.comМария Чакърдъкова - Дедо мили, златни

  • 歌手:Mariya Chakŭrdŭkova
  • 制作:Produtsentska kŭsha "NIE"
  • メディア:Folklor TV HD (Bulgaria)

 

最初の動画はブルガリアのFolklor TVの公開映像です。〈Dedo Mili Zlatni〉は、マケドニア地域(北マケドニア、ピリン・マケドニア(ブルガリア))の民謡として広く知られています。

歌詞は、村のおじいさんとおばあさんの日常の出来事を描いた、なんともほのぼのとした内容です。一通り書き下します。長いですが一読してみてください。

 

[1]
Dedo odi na pazar, konja java bez samar
デド オディ ナパザル, コニャ ヤヴァ ベ サマル
 おじいちゃんは市場へ行く、
 鞍のない馬に乗って

(Ref.)
  Dedo mili zlatni, babina prva ljubov
  デド ミリ ズラタニ, バビナ プルヴァ リュボフ
   愛しいおじいちゃん、黄金の(ように大切な)、
   
おばあちゃんの初恋(の人)

  Dedo mili zlatni, babino bonbonče
  デド ミリ ズラタニ, バビノ ボンボンチェ
   愛しいおじいちゃん、金の(ように大切な)、
   
おばあちゃんのキャンディ(のように大好きな人)

Baba java na mule, dedo puši so lule
ババ ヤヴァ ナ ムレ, デド プシ ソ ルレ
 おばあちゃんはラバに乗っている

 おじいちゃんはパイプをふかしている

(Ref.)

[2]
Dedo odi na bostano, baba praša sa fustano
デド オディ ナ ボスタノ, ババ プレシャ サ フスタノ
 おじいちゃんはスイカ畑へ行く
 おばあちゃんは衣装を尋ねている

(Ref.)

Baba ide od nivata, dedo gleda vo tavata
ババ イデ オド ニヴァタ, デド グレダ ヴォ タヴァタ
 おばあちゃんは麦畑から帰ってくる
 おじいちゃんは鍋を覗いている

(Ref.)

[3]
Dedo ide na ručok, baba peče cel kravčo*1
デド イデ ナ ルチョク, ババ ペチェ ツェル クラフチョ
 おじいちゃんはお昼ご飯に帰ってくる
 おばあちゃんは子牛を丸ごと焼いている

(Ref.)

Baba prede na vreteno, dedo jade pečeno
ババ プレデ ナ ヴレテノ, デド ヤデ ペチェノ
 おばあちゃんは糸を紡いでいる
 おじいちゃんは焼いた肉を食べている

(Ref.)

[4]
Dedo odi za piperki, baba gali dvete ḱerki
デド オディ ザ ピペルキ, ババ ガリ ドゥヴェテ キェルキ
 おじいちゃんはパプリカを取りに行く
 おばあちゃんは二人の娘を撫でている

(Ref.)

Baba jade piperka, dedo sviri na šupelka
ババ ヤデ ピペルカ, デド スヴィリ ナ シュペルカ
 おばあちゃんはパプリカを食べている
 おじいちゃんは笛を吹いている

(Ref.)

出典:Pesna.org
翻字・翻訳:Alagöz隊長

 

デドはおじいちゃん、ババはおばあちゃん。本当です(笑)

民謡なので、時代や地域、状況などで歌詞に少しずつ違いがあります。最初の動画では[1]と[3]が一つにまとめられ、[1]の後半と[3]の前半が割愛されています(子牛の丸焼きはイメージが良くないためでしょうか?)。繰り返し部分(Ref.)の順番が逆のものや、最後のbabino bonbonče(おばあちゃんのキャンディ)がbabinovo momče(おばあちゃんの男の子)となっているものもあります。

〈Dedo Mili Zlatni〉は祭りや結婚式などいろいろなシーンで歌い踊られます。踊られると言ってもその曲自体には決まった踊りがあるわけではなく、ふつう現地では〈Pravo Oro/Horo〉(プラヴォ・オロ/ホロ)*2を踊るための2拍子系音楽の一つに使われます。ほんの一例ですが祭りの映像を紹介します。

 

youtu.beEkrem & Erşan - Dedo mili zlatni
Umutcan Serbest

この映像は、バルカン半島のマケドニア地域ではなく、トルコの南西部イズミル(Izmır)のマケドニア系住民の人々が生演奏をバックに踊っているシーンです。基本的には〈Pravo Oro〉を踏んでいますが、盛り上がってくると徐々に激しいステップに変わっていきます。

 

一方、この〈Dedo Mili Zlatni〉に振り付けされた踊りとして、〈Dedo Mili Dedo〉(デド・ミリ・デド)という名前のフォークダンスが、アメリカをはじめ、西ヨーロッパ、香港、日本などで踊られています。
〈Dedo Mili Dedo〉の振り付けは、北マケドニア北部、セルビアとの国境に近いクマノヴォ周辺での踊りに特徴的な動作の組み合わせで構成されています。最初にリュプカ・コラロヴァ(Ljupka Kolarova)によって記され、アタナス・コラロフスキ(Atanas Kolarovski)によって伝えられました*3

 

www.youtube.comDedo Mile Dedo (Macedonia)
Tuesday Night Revival

 

最後に、この〈Dedo Mili Dedo〉に使われている楽曲を紹介します。北マケドニアの首都スコピエを中心に活躍したフォーク歌手、ペトランカ・コスタディノヴァの〈Dedo Mili Zlatni〉です。

 

www.youtube.comPetranka Kostadinova - Dedo mili zlatni - (Audio 1971)

  • 歌 :Petranka Kostadinova
  • 作曲:Nasko Džorlev
  • レーベル:Diskos (Yugoslavia, 1971)

 

リリースは1971年。なんと、半世紀以上も前の楽曲なんですね。■

 

【今回紹介した曲】

Dedo mili Zlatni

Dedo mili Zlatni

  • Petranka Kostadinova
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

*1:prasčak(子豚)となっている歌詞もあるらしい。マケドニア地域はムスリム(イスラム教の人々)も少なくないが、このあたりの事情はどうなのか?

*2:大勢の人々が連手で横につなり簡単なステップで右へ右へと進む、2拍子3小節でひと塊のシンプルな踊り。

*3:Dedo Mili Dedo, 1982 - Folk Dance Federation of California, South, Inc. (PDF)