Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

心が泣くとき (Kshehalev Bokhe / Shma Erohai)

今回は、イスラエルで今もっとも活気のある音楽ジャンルであるミズラヒ音楽の中から、少し古いですが、歌手サリット・ハダッド(Sarit Hadad)の2001年の曲「クシェハレヴ・ボヘ(Kshehalev Bokhe)」に注目します。

モダンイスラエルダンスでも、シュムリク(Shumlik Gov-Ari)のシュマ・エロハイ(Shma Erohai)で使われていますので、ご存知の方も多いかと思います。

今回はこの曲の歌詞を深掘りします。

 

Sarit Hadad - Kshalev Boche (Official)

www.youtube.com

 

ミズラヒ音楽とはイスラエルの歌謡曲ジャンルの一つです。イスラエルに住むミズラヒム(中東・アフリカ・アジアがルーツのユダヤ人)によって歌われ演奏される音楽を指します。「ミズラヒ」とはヘブライ語で「東」という意味。または「オリエント」とも訳されるので、「オリエンタル・ミュージック」と呼ばれることもあります。1990年代以降アシュケナジム(東欧ルーツのユダヤ人)の音楽に代わり、自分たちのルーツに正しく向き合おうとするイスラエルの若者を中心に次第に盛んになってきました。これぞミズラヒ音楽といえるような特徴はあまりはっきりしませんが、現代ヘブライ語で歌われること、中東のメロディーやリズム、ときにはラテンの要素も取り入れられることなどが特徴でしょうか。ただし民族音楽的ではありません。もっぱらバンド演奏をバックにソロで歌われるようです。

 

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サリット・ハダッド(Sarit Hadad)
Neukoln, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

サリット・ハダッドはテルアビブを拠点に音楽活動をするミズラヒ音楽の人気アイドル的存在です。2009年にはイスラエルのMusic TV (Channel 24)で「2000年代の最優秀歌手」に選ばれ、ユーロビジョン・ソング・コンテストの2002年のイスラエル代表にもなりました。

 

サリット・ハダッドが歌うこの「Kshehalev Bokhe(心が泣くとき)」は、作詞はヨッシ・ギスパン(Yossi Gispan)とアルレト・ツファディア(Arlet Tzfadia)、そして作曲はシュムエル・エルバズ(Shmuel Elbaz)で、2001年にリリースされました。

 

それでは、この歌を読み解いていきましょう。

Kshehalev bokhe
Lyrics: Yossi Gispan, Arlet Tzfadia

(1)
Kshehalev bokhe
rak Elohim shome’a
クシェハレヴ ボヘ 
ラク エロヒム ショメア

Hake’ev ole
mitokh haneshama
ハケエヴ オレ 
ミトフ ハネシャマ

Adam nofel
lifney shehu shoke’a
アダム ノフェル 
リフネイ シェフ ショケア

B’tfila ktana
khotekh et hadmama
ビトフィラ クタナ 
ホテフ エト ハドママ

(Chorus)
Shma Yisra’el Elohay
ata hakol yakhol
シュマ イスラエル エロハイ 
アタ ハコル ヤホル

Natata li et khayay
natata li hakol
ナタタ リ エト ハヤイ 
ナタタ リ ハコル

Be’enay dim’a
halev bokhe besheket
ベエナイ ディマ 
ハレヴ ボヘ ベシェケト

Ukhshehalev shotek
haneshama zo’eket
ウクシェハレヴ ショテク 
ハネシャマ ゾエケト

Shma Yisra’el Elohay
akhshav ani levad
シュマ イスラエル エロハイ 
アクシャヴ アニ レヴァド

Khazek oti Elohay
ase shelo efkhad
カゼク オティ エロハイ 
アセ シェロ エフハド

Hake’ev gadol
ve’eyn le’an livroakh
ハケエヴ ガドル 
ヴェエィン レアン リヴロアフ

Ase sheyigamer
ki lo notar bi ko’akh
アセ シェイガメル 
キ ロ ノタル ビ コアフ

(2)
Kshehalev bokhe
hazman omed milekhet
クシェハレヴ ボヘ 
ハズマン オメド ミレヘト

Ha’adam ro’e
et kol khayav pitom
ハアダム ロエ 
エト コル ハヤヴ ピトム

El halo noda
hu lo rotse lalekhet
エル ハロ ノダ 
フ ロ ロツェ ラレヘト

Le’Elohav
kore al saf tehom
レエロハヴ 
コレ アル サフ テホム

(Chorus) ...

音訳:Alagöz隊長

この歌詞は、原文はヘブライ文字で書かれています。ヘブライ文字のままでは誰も読めそうにないので、上ではラテン文字表記およびカナ表記を載せました。ただし、ヘブライ文字ラテン文字やカナ文字は一対一に対応していないので、正確に置き換える(翻字する)ことは困難です。特に、22字あるヘブライ文字はすべて子音であり、母音の文字がそもそも存在しません(準母音とするものはあります)。翻字する場合は文法に従って適宜母音を補って表記します。またこうして書き起こすことができたとしても、それはあくまで読解の補助的なもので、必ずしも正確な発音を表していないことをあらかじめご承知ください。

 

歌詞の意味は以下の通りです。

心が泣くとき
詞:
ヨッシ・ギスパン、
アルレト・ツファディア

(1)
心が泣くとき
神だけが聞く

痛みは起こる
魂の中から

人は倒れる
彼が沈む前に

小さな祈りとともに
静寂を切り裂く

(Chorus)
聞けイスラエルよ 私の神、
あなたはすべてができます

あなたは与えました 私に命を、
あなたは与えました 私にすべてを

私の目には涙、
心は泣きます 沈黙の中で

そして心が押し黙るとき
魂は悲鳴をあげます

聞けイスラエルよ 私の神、
今私は独りです

私を強くしてください 私の神よ、
恐れないようにしてください

痛みは激しく
そしてどこにも逃げ場がないのです

終わりしてください
私には力が残っていないから

(2)
心が泣くとき
時は立ち止まる

その人は知る
彼の命のすべてを突然に

見知らぬ方へ
彼は行きたくない

彼の神に叫ぶ
深淵の端の上で

(Chorus) ...

和訳:Alagöz隊長

原文の語順にできるだけ近くなるように訳してみました。こうすることで作者の主張や力点がどこにあるのかが良く見えてくると思います。語順が少し読みにくいかもしれませんが、ご承知ください。

 

それでは少しずつ解説していきます。

歌詞の1番では、主人公「人」が絶望的な苦しみを抱えて神に祈り呼びかける情景が、話者の目線で描かれます。ここに出てくる「心」と「魂」は、それぞれ主人公の感情と体に宿る精神で、別物であることに注意しておいてください(原文にはそれぞれ定冠詞がついてますが、逐一「その」や「その人の」などと書き足すと読みにくいので、和訳では必要最低限にとどめています)。「彼は沈む」というのは、深淵に沈むということと思われます。「深淵」とは旧約聖書の創世記に出てくる「テホム」の訳語ですが、深く水の淀む沼、底なしの崖、奈落の底、地獄などにあたります。今まさに主人公が死に逝くところなのでしょうか。後述する2番の歌詞の最後にも出てきます。

サビ(Chorus)の前半部分で目線は主人公に移ります。最初の2語「シュマ イスラエル(聞けイスラエルよ)」は聖書の申命記第6章の4節に出てくる「シェマ イスラエル アドナイ エロヘヌ アドナイ エハド(聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主はただ一人)」の最初の言葉です。ユダヤ教における朝夕の礼拝時の祈りの言葉として日常的に使われるようです。ただし、今は聖書を読みあげているのではありません。この歌は聖書ヘブライ語(古典)ではなく現代ヘブライ語(口語)ですので、主人公の思いを切り出す第一声にこの言葉を利用している捉えるべきでしょう。そして悲しみの心(感情)がもう力を失って黙ろうとも、魂(全身全霊)は悲鳴をあげるように叫び嘆く状況を、神に向かって述べているということなのでしょう。

サビの後半部分では、主人公は神に願いを訴えます。自分を強くしてほしい、恐れないようにしてほしいと。ここでの「痛み」は少し考えどころ。そのまま読み流せば歌詞の1番で出てきた「魂の中から」生じた痛みのように読めますが、外傷による痛みのことかもしれません。後で説明します。そして、今はただ一人で助けてくれる人もおらず、追い詰められて力もすでに使い果たし、もう自分ではどうにもならない状況の中で、最後の最後に「終わりにしてください」と神に願う、極めて切迫した情景描写と読めるでしょう。

歌詞の2番では目線は再び話者に移動します。主人公は突然自らの生涯を走馬灯のように把握します。そして今まさに深淵(テホム)に沈もうとしているぎりぎりのところで、見知らぬあの世へは行きたくないと神に願い叫んでいます。

ざっとこのような感じに読み取ってみました。一見すると宗教歌にも見えそうですが、少し丁寧に読んでみるときわめて深刻な状況に置かれた主人公の情動が克明に描かれていることが読み取れると思います。しかもどの単語も平易な言葉でわかりやすく、ストレートに読み手に伝わってきます(ヘブライ語ですが・・)。

 

歌詞の中では語られていませんが、この歌にはある事件が背景にあります。それは2000年10月にパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区のラマラで起こった、パレスチナ人住民によるイスラエル予備役兵へのリンチ事件です。ラマラ・リンチ事件(Ramallah lynchingと呼ばれるこの事件は、2000年9月から2005年まで続いた第2次インティファーダ(民衆蜂起)の初期に発生した象徴的な出来事でした。

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パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区のラマラの位置

(以下の段落では過激な言葉が出てきます。気分が悪くなる恐れがありますので、適宜読み飛ばしてください。)

2000年9月末頃、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の中心地ラマラで、100人近くのパレスチナ人がイスラエル軍によって殺害されました。その中には未成年者も約20人含まれており、パレスチナ住民の間にイスラエルに対する怒りが満ちていた頃でした。10月12日、従軍したばかりで事情をよく知らないイスラエル軍の予備役兵2人が誤ってパレスチナ自治区内に入り込んでしまいました。彼らは検問所でパレスチナ人警察官に身柄を拘束され警察署に連行されて行きました。ちょうどその頃、町ではイスラエル軍との衝突で死亡したパレスチナ人青年の葬儀が行われており、数千人の弔問客が参列していました。そこへ「イスラエルの潜入捜査官が警察署内にいる」というデマが広がり、イスラエル人の死を求めるパレスチナ人群衆が警察署前に集まりました。そして、暴徒化した一部の群衆が警察署を襲撃し、イスラエル人兵士2人を殺害。さらにその遺体が建物の窓から外へ放り出されると、熱狂した群衆は遺体を踏みつけ、銃で撃ち、腹を裂き、そして火をつけて燃やしました。あまりにも凄惨なこのリンチ事件は、複数のメディアによってイスラエルをはじめとする世界中の国々に配信され、大きな波紋を呼びました。

 

「Kshehalekh Bokhe(心が泣くとき)」は、実はこの事件を受けて作られたエレジー(哀歌)です。この事実を理解した上でもう一度歌詞を読み返してみると、平易なはずの言葉の一つ一つがとても重々しく響いてくると思います。

前述の解説では説明しなかった部分があります。それは、歌詞の中で二度読み込まれる「痛み」とは何だったのか。心が悲しむ意味の痛みだったのか、それとも暴力で受けた傷の痛みだったのか。そして主人公が神に願った「終わりにしてください」とは何を意味していたのか。主人公自身の悲しみ苦しみのことだったのか、それともあの凄惨な事件のことだったのか、あるいは、イスラエル人とパレスチナ人の間に横たわる深く困難な問題を「終わりにしてください」と伝えたかったのか。

もしお時間がありましたら一緒に考えてみてください。

 

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Discography Infomation

Title : Kshehalekh Bokhe (כשהלב בוכה)
Song : Sarit Hadad (שרית חדד)
Lyrics : Yossi Gispan (יוסי גיספן), Arlet Tzfadia
Music : Shmuel Elbaz (שמואל אלבז)
Album: Sweet Illusions (אשליות מתוקות) / 8
Label : Avi Guetta (אבי גואטה)
Format: CD
Israel, 2001年4月3日

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