Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Tsaghkats Baleni - 桜 (Armenia)

 今年もいよいよ春本番。桜の見ごろの季節になってきました。しかし今週末はあいにくの雨模様。気温も低く花見はいったんお預けでしょうか。

 今回のテーマはずばり「桜」。アルメニアのフォークからTsaghkats Baleni(ツァハカツ・バレニ)を紹介します。「木の温もりと哀愁」とも評される民俗楽器ドゥドゥク(duduk)の素朴で味わい深い音色がとても印象的な一曲です。

 

 まずは次の音源を聴いてみましょう。ハチャトゥール・アヴェティシャン(Khachatur Avetisyan, 1926 - 1996)*1作曲のTsaghkats Baleni、1970年代後半頃の作品です。演奏は名門エレバン・コミタス国立音楽院の民俗楽器オーケストラです。

 

www.youtube.com

Tsaghkats Baleni (feat. Norair Davtyan)

  • Composer: Khachatur Avetisyan
  • Music: Yerevan Conservatory Orchestra of Armenian Folk Instruments (Norair Davtyan)
  • Album: Khachatur Avetisyan [1926-1996] - Parmani / Most Popular Dances, Vol. 6
  • Release: 2020, Armenia

 

 ドゥドゥクはアプリコットの木の枝に穴をあけて作られた簡素な構造の管楽器。幾分大きなダブルリードを刺して吹きます。同様のダブルリード楽器のオーボエやファゴットのように丸く柔らかく、しかし少しかすれた寂しげな音色は、アルメニア人の民族性を表現する音楽シーンでよく用いられます。

 この音色はアプリコット(杏)の木からしか出せないと言われています。アプリコットは桜や桃と近縁のバラ科サクラ属(スモモ属)の樹木の一つ。アルメニアではあちこちで見られます。アルメニアが原産と考えられていた頃もあったため*2、学名ではPrunus armeniaca(プルヌス・アルメニアカ)と呼ばれます。日本人にとって桜が象徴的な樹木であるのと同様、アルメニア人にとってアプリコットはアルメニアを象徴するとても大切な樹木です。

 

聖フリプシメ教会の庭先にて(エチミアジン、2017年7月)

 

 Tsaghkats Baleniの演奏でドゥドゥクを吹いている動画の例がありましたので、どのような楽器か少し見てみましょう。

 次の動画はベルギーのアルメニア音楽バンド Arax(アラクス)のライブ映像。アルバム La Brise(ラ・ブリーズ)に収録された Balenie(バレニ―)という曲です。ドゥドゥクを吹く様子が2分20秒~3分あたりでクローズアップされます。吹き方にもご注目ください。

 

www.youtube.com

Arax - Balenie (live) with Hayq Danse

  • 演奏  :Arax
 

 

 ドゥドゥクは吹き方にも特徴があります。リードを上下の唇で包むように押さえ、唇の内側と歯茎が接触しないように口内を膨らませて吹きます。優しい音に似合わず肺活量が必要で吹き続けるのは並大抵ではありません。音を長く持続させるために循環呼吸法も使われます。素朴な楽器ですが演奏には高い技術が必要です。

 

 

 本題の桜に移ります。

 曲名の「Tsaghkats Baleni」は、「tsaghkats(花が咲いた)bal(さくらんぼ*3)-eni(の木)」。満開の桜(の木)(blossomed cherry tree)あるいはそのまま桜(cherry blossom)となります。哀愁ただよう寂しい曲に聴こえるかもしれませんが、むしろこれから春本番を迎えて新たに躍動しようという前向きな曲のようです。

 その理由はこの曲につけられた歌詞からわかります。ドゥドゥクの代わりに歌を歌うバージョンもありました。メゾ・ソプラノ歌手ヴァルドゥヒ・ハチャトゥリャン(Varduhi Khachatryan)が歌う1979年の音源がこちら。

 

www.youtube.com

Tsaghkats Baleni

  • 歌   :Varduhi Khachatryan
  • 作曲  :Khachatur Avetisyan
  • 作詞  :Lyudvig Duryan
  • 収録年 :1979
  • アルバム:Khachatur Avetisyan [1926-1996] - Baleni / Most Popular Songs, Vol. 2
  • リリース:2020, Armenia
 

 

 この曲にはアルメニアの著名な詩人リュードヴィグ・ドゥリャン(Lyudvig Duryan, 1933 - 2010)の詩がつけられています。大意は以下のような感じ。

 

花嫁のように白いドレスを着た
満開の桜の木
(あなたは)希望の道を歩んできたよう
私の希望 桜の木
私を白い(あなたの)腕の中へ
私の姉妹 桜の木

ああ 私は震えたい あなたのように
ブライダルベールの下で
私を白い(あなたの)腕の中へ
私の姉妹 桜の木

あなたを見ると私は満たされる
甘いあこがれで
あなたを見ると私は救われる
優しい夢で

(以下略)

 

 うまく表現できていないかもしれませんが、少なくとも寂しい文脈はどこにもありません。もしあるとすればマリッジブルーでしょうか。

 Tsaghkats Baleniを桜のと解釈すると花に焦点があたってしまいそうですが、擬人化されているのは桜の木(幹)の方。花は白いドレスと表現されています。白い花々を身にまとった桜の木を眺め癒される女性の、これから嫁ぎ行く思いが込められているのでしょうか。寂しいどころか希望に満ちあふれた晴れやかな歌というべきでしょう。

 

 

 このイメージをよく表している動画がありました。Harsi Par(ハルスィ・パル、花嫁の踊り)を撮影した動画を紹介します。

 

www.youtube.com

Հարսի պար - Ծաղկած բալենի / Harsi par - Tsaxkac baleni

  • 歌 :Sona Rubenyan
  • 演出:Delight Dance

 

 Harsi Parは結婚式の演目の一つで新婦が踊りを披露します。Tsaghkats Baleni は このHarsi Parで使われる定番楽曲の一つになっているらしく、同様の動画をいくつか見つけることができます。新婦を取り巻く4人の女性たち(プロのダンサー)は桜の枝を表現しているとのことです。

 

 なお、この曲をすでにご存じで「Tsaghkadz Baleri(ツァハカ・バレ)」という名前でお馴染みという方々もいると思います。綴りが間違っているのではないかと思われるかも知れませんので、念のため補足説明を加えておきます。

 「Tsaghkadz」の「dz)」はおそらく西アルメニア語訛りと思われます。アナトリア(トルコ)がルーツの西アルメニア語の方言では発音が「ts(ツ)⇔ dz(ズ)」、「ク(k)⇔ グ(g)」、「ブ(b)⇔ プ(p)」のようにしばしば入れ替わります。欧米へと離散したアルメニア人(とその子孫)の多くは西アルメニア語話者のため、欧米経由で日本に入ってきたアルメニアの言葉にはよくありがちです。

 また「Baleri」は「bal(さくらんぼ)」の複数形「baler(バレル)」からだろうか*4。こちらはではなく数輪のの方に焦点のある言葉かもしれません。

 

 

 

 最後に、前出の結婚式の動画についてもう一言。

 バックステージで歌っていたのはシンガー・ソングライターのソーナ・ルベニャン(Sona Rubenyan)、演奏は俳優でミュージシャンのガリク・パポヤン(Garik Papoyan)、どちらもアルメニアの有名人です。デュオでも活動しています。

 ガリク&ソーナの最近の楽曲の Baleni。3拍子のポップスというのは意外に耳なじみが薄いかもしれません。よろしければこちらも聴いてみてください。■

 

www.youtube.com

Garik & Sona//Գարիկ և Սոնա -Baleni//Բալենի

  • 歌   :Sona Rubenyan
  • 演奏  :Garik Papoyan
  • 監督  :Arman Sargsyan
  • アルバム:Zngl
  • リリース:2018, Armenia
 

にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲・好きなアルバムへ
にほんブログ村

 
 

英語

ガリク
アマゾン

 

*1:アルメニア、ギュムリ生まれ。作曲家、カーヌーン奏者、指揮者。エレバン・コミタス国立音楽院で民俗楽器部門を創設。

*2:現在は中国北東部が原産と考えられています。

*3:アルメニアのさくらんぼは普通はスミミザクラ(酸実実桜、sour cherry)の果実。料理用。

*4:この場合「Baleri」の語末の「-i(~に)」がどこにつながるのかよくわかりません。ご存知の方いましたらお知らせください。