今回は、世界的に有名な(北)マケドニアのフォークソング《Makedonsko Devojče》(マケドンスコ・デヴォイチェ/Македонско Девојче)の原点を辿ってみます。
はじめに取り上げるのは、ヴィオレッタ・トモフスカ(Violeta Tomovska)とキリル・マンチェフスキ(Kiril Mančevski)のデュエットによる一曲です。
Виолета Томовска и Кирил Манчевски - Македонско девојче
Андреја Котески
マケドニア人なら老若男女を問わず誰でも知っている7拍子の歌とメロディ。古くから伝わる民謡のようでいて、実は今日のバルカンにおけるポップフォークの先駆けとされる新作民謡(Newly composed folk song)にあたります。
作詞・作曲は、マケドニア民俗音楽の第一人者として知られるヨンチェ・フリストフスキ(Jonče Hristovski, 1931–2000)。1967年*1、ユーゴスラビア社会主義連邦時代のマケドニアで生まれ、やがて欧米にも広く知られるようになったこの歌は、ヨンチェにとって出世作であり、代表作のひとつでもあります。

Jonče Hristovski(参考:YouTube: Jonce Hristovski - ako umram il zaginam [link])
題名の《Makedonsko Devojče》は、「マケドニアの少女(Macedonian Girl)」という意味です。歌詞では、その少女の美しさを、花や星、絹、妖精、ナイチンゲールなどにたとえ、そして
Dali ima na ovoj beli svet,
poubavo devojče od Makedonče?
Nema, nema, ne ke se rodi,
poubavo devojče od Makedonče.この広い世界の中にいるだろうか
マケドニアのよりも美しい少女が
いない、いない、生まれないだろう
マケドニアのよりも美しい少女は
のように惜しみなく少女を称えます。
さて、この歌について少し掘り下げてみましょう。まずはヴィオレッタ・トモフスカの背景から。

Violeta Tomovska(参考:YouTube: Подрум одам мајче Виолета Томовска [link])
ヴィオレッタ・トモフスカは、1945年、マケドニア南部ビトラの音楽一家に生まれました。高校進学を機に首都スコピエへ移り、オペラ歌手であった叔父と叔母(叔父の妹)のもとでピアノに励みます。1960年には、ラジオ・スコピエ主催のコンテストで最優秀賞を受賞し、翌年には同局のオーケストラと共演して、歌手としてデビューを果たしました。
順調な滑り出しでしたが、1963年にスコピエを襲った大地震で住まいが倒壊し、叔父と叔母が犠牲となります。生活の拠点を失ったヴィオレッタは一時的に故郷ビトラへ戻りますが、同年の秋、叔父が主催していた文化芸術協会の北米ツアーに代理として参加。このツアーで、同協会員のキリル・マンチェフスキと初めて共演しました。
1964年には、ヴィオレッタとキリルが国立民俗アンサンブル・タネツとともにユーゴスラビアを巡演。その際、ベオグラードのレコード会社PGP RTBとレコード独占販売契約を結びます。レコードは10万枚の大ヒットを記録しました。
同じ年、ヴィオレッタは映画監督ヨルダン・トモフスキ=フランツと結婚し、1966年には娘のネヴェンカ(Nevenka)を出産しました。
Nevenka(参考:YouTube: Makedonsko Devojce remake spot | Македонско девојче реиздание спот | Macedonian girl music video [link])
そして、核心を突く話はここからです。
1967年2月、ヴィオレッタ夫妻は、ネヴェンカの1歳の誕生日を祝うパーティを開きました。花婿付添人を務めた同僚のキリル・マンチェフスキ、オーケストラのリーダーのコチョ・ペトロフスキ、そして幼少期から家族ぐるみで親交のあったヨンチェ・フリストフスキなどが招かれました。夕食を共にし、歌い、語り合うひとときのなかで、ヨンチェはネヴェンカへの誕生日プレゼントとして《Makedonsko Devojče》を書いたとのこと。
ヨンチェは言いました。「この歌をネヴェンカに捧げます。そして、マケドニアのすべての少女たちにも捧げます」と。ヴィオレッタはこのとき初めてその歌を耳にしたと言います。
その2か月後、この歌はヴィオレッタとキリルによるデュエット曲として披露され、広く知られるようになりました。
時が経ち、「マケドニアの少女」ことネヴェンカ・トモフスカ=ロソマノヴァ(Nevenka Tomovska-Rosomanova)は、2016年2月に50歳の誕生日を迎えました。ネヴェンカの夫で企業経営者のゾラン・ロソマノフは、その節目を祝うサプライズとして、特別編成のオーケストラによる《Makedonsko Devojče》のミュージックビデオをプロデュースし、ネヴェンカに贈りました。
そのときのビデオ映像がYouTubeで公開されています。なんて贅沢な誕生日プレゼントなんでしょうね。
Makedonsko Devojce remake spot | Македонско девојче реиздание спот | Macedonian girl music video
ROSOMANOV, 2016
ヴィオレッタ・トモフスカは、現在80歳。すでに歌手としての活動からは引退しており、健康面に不安を抱えつつも、3人の孫たちと平和に日々を過ごしているそうです。
そこで最後の一曲は、5年前に出演した音楽番組での《Makedonsko Devojče》。熱唱する最近のヴィオレッタの歌声を聴いて、この物語を締めくくることにしましょう。■
Balkan Music TV, 2020
Art Studio, 2020
おまけ
以前にもよく似た物語を持つ歌を紹介しています。アゼルバイジャンのフォークソングの《Rehan》です。よろしければこちらもご一読を。
balkankokkaimusic.hatenablog.com
参考
- Сите мои песни се подарок и порака за публиката, нова македонија, 2018.5.16 [link]
- Зетот на Виолета Томовска почина од последици на Ковид-19, Фокус, 2020.11.30 [link]
- Виолета Томовска: „Без размислување решив да ги извадам градите за да го победам ракот, сега со 3 внуци уживам во пензионерските денови“, crnobelo.com, 2023.4.5 [link]
- Author's Comment of YouTube video: ROSOMANOV, "Makedonsko Devojce remake spot | Македонско девојче реиздание спот | Macedonian girl music video", 2016.2.6 [link]
*1:楽曲《Makedonsko Devojče》がいつ作詞・作曲されたのかについては、1963年から1967年まで諸説存在する。本稿では、歌手ヴィオレッタ・トモフスカ自身の証言をもとにしているため、1967年が正しいという立場を取る。ただし、ヨンチェ・フリストフスキ自身による記述、取材等での本人談話の記事、レコードの出版年の記録などは現状確認できていない。一方、インターネットの情報では制作年を1964年としているケースが非常に多い。ブルガリア語版を除く12のWikipedia各国語版の Makedonsko Devojče / Македонско Девојце の情報が広く拡散されているように思われるが、それらは引用元の書籍等も含めて根拠が不明確であり、疑問が残る。なお、Wikipediaブルガリア語版だけは1967年と記している。
