今回のテーマは「Reyhan(レイハン)」または「Dağlar qızı Reyhan(ダグラル・グズ・レイハン)」と呼ばれるアゼルバイジャンのフォークソングの名曲を取り上げます。
アラビア語、ペルシャ語、トルコ語、そしてアゼルバイジャン語でシソ科の香草の「バジル」を意味する「レイハン(reyhan)」、ここでは歌に登場する若い女性を指しています。「Dağlar qızı Reyhan」は「山岳の少女レイハン」です。
今回のテーマ曲を聴いてみましょう。1960年初演の「Dağlar qızı Reyhan」、作曲フィクラト・アミロフ(Fikrət Əmirov *1)の楽曲、作詞タラト・アイユボフ(Tələt Әyyubov)、歌はラシド・ベフブドフ(Rəşid Behbudov *2)です。
Reyhan
Rashid Behbudov, Tələsiin İnsanlar, ℗ 2001 Raks Müzik
この歌はアゼルバイジャンのどこかの村で歌い継がれてきた伝統民謡ではなく、1959年にアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国で生まれ近隣のトルコ共和国でも流行した歌謡曲です。アゼルバイジャンの伝統音楽の旋法ムガーム(Muğam*3)と西洋音楽のそれぞれの要素を融合させたシンフォニック・ムガーム(Symphonic Mugham 、交響的ムガーム)と呼ばれる音楽形式に基づく一曲です。この曲はその後アゼルバイジャン国内で広く親しまれただけでなく、近隣の”兄弟国”トルコでも流行しトルコ映画のテーマ曲にも用いられました。
今回はこの「Reyhan」について、当時の時代背景を踏まえながら、その裏に隠された秘密を読み解いていきます。
衝撃のフォークソング
作曲家フィクラト・アミロフはアゼルバイジャンの伝統音楽ムガームと西洋音楽の融合を深化させた「シンフォニック・ムガーム(Symphonic Mugham 、交響的ムガーム)」と呼ばれる新しい音楽を創始した人物として知られています。また声楽も非常に重視しており、古典的な歌曲の形式に民俗音楽のアプローチを取り入れ現代的な発声技法を用いて歌曲やロマンス曲を作曲しました。
アミロフはオペラ音楽も作曲しています。アゼルバイジャン国立音楽院卒業後の1949年から4年の歳月をかけて、著名な作家ジャファル・ジャバルル(Cəfər Cabbarlı*4)の1928年の作品「Sevil(セヴィル)」に基づいたオペラ歌劇*5の音楽制作を担当しました。1953年初演のこのオペラの重要性は、アゼルバイジャンのオペラの歴史において現代的な主題で書かれた最初の叙情オペラであるということ。ムガム交響曲と同様、アゼルバイジャンのオペラにおける前例のない先駆者となりました。また音楽的な成功だけでなく、Sevil はアゼルバイジャンにおける女性の社会での役割と家父長制社会に対する闘争という社会問題に触れている点でも価値があり、女性の権利と自由が大きな問題だった当時この作品は社会のあらゆる階層に受け入れられました*6。
オペラ「Sevil」の詳細についてはこれ以上は踏み込みませんが、ここで重要なことはこのオペラの台本を手掛けた人物が前述のタラト・アイユボフだったということ。アミロフはアイユボフの台本に沿って作曲をしたのです。そして初演の舞台で主人公セヴィルの夫のバラシュ役を演じたのがラシド・ベフブドフでした。
そう、「Dağlar qızı Reyhan」はこのオペラ・セヴィルで協働した3人の人物の再集結によって制作された音楽作品だったのです。
「Dağlar qızı Reyhan」はアゼルバイジャンで大変人気となり、数多の有名歌手がこの曲を演じました。中でも歌手ゼイナブ・ハンラロヴァ(Zeynəb Xanlarova *7)の1966年の歌が最も人気があったと言われています。
Zeynəb Xanlarova - Dağlar qızı Reyhan | Şərqilər
ZEYNƏB XANLAROVA - DAĞLAR QIZI REYHAN, Copyright © AzTV
ちょっと意外かもしれませんが、このバージョンでは「Dağlar qızı Reyhan」がジャズ調で歌われています。実は1960年代、アゼルバイジャンでもジャズが流行していたのです。
同国の音楽で見逃せない別の大きな要素がジャズである。20世紀初頭のオイルブーム時代、バクーには国外からやってきたジャズ演奏者たちがカフェやレストレランで演奏しており、その後もジャズの人気は衰えることがなかった。他の音楽分野における「西洋と東洋(伝統音楽)の統合」路線はこのジャンルにも及び、ムガーム要素を含んだ独特のジャズ・スタイルが発展した。
引用元:松本奈穂子: 「第52章 アゼルバイジャンの音楽と舞踊」, エリアスタディーズ165 アゼルバイジャンを知るための67章(廣瀬陽子編), 明石書店 (2018), pp. 299-303.
一方、アゼルバイジャンと民族的に近いトルコでも「Reyhan」は流行しました。アゼルバイジャン語のタイトル「Dağlar qızı Reyhan(ダグラル・グズ・レイハン)」はトルコ語では「Dağlar kızı Reyhan(ダーラル・クズ・レイハン)」と読み替えられます。微妙な違いですがここが両者を見分けるポイントです。トルコではユクセル・オェズカサプ(Yüksel Özkasap)やゴェニュル・ヤザル(Gönül Yazar)の歌が話題を呼びました。
Reyhan
Yüksel Özkasap, Köln Bülbülü, ℗ 1998 Türküola Müzik
Gönül Yazar - Reyhan (1971)
Gönül Yazar, ℗ 1971 Coşkun Plak
また1969年にはレイハンという名前の女性を主人公にした映画「Dağlar kızı Reyhan(ダーラル・クズ・レイハン)」*8が制作されました。映画に用いられたのは次の動画の音源、歌はカムラン・アッコール(Kamuran Akkor)です。
Kamuran Akkor - Reyhan (1969)
Kamuran Akkor, Dağlar Kızı Reyhan, ℗ 1969 Coşkun Plak
面白いことに、アゼルバイジャンとトルコでは楽曲のアレンジの仕方が大きく異なっていることがこれらの音源からわかります。
ソ連の影響下で芸術が推進されたアゼルバイジャンにおいて「Dağlar qızı Reyhan」がシンフォニック・ムガームに基づく作風であった一方、トルコの「Dağlar kızı Reyhan」はエレキギターやハモンドオルガンなどのこの時代らしい電気楽器を多用したポピュラー音楽、歌謡曲の一つとして流行しました。
これらの音源を聴き比べるだけでも当時の歴史的、社会的背景の違いが感じられます。
Reyhanの歌の謎
歌詞
次に「Dağlar qızı Reyhan」の歌に注目してみます。少しだけ歌詞の中身を見て行きましょう。(歌詞の著作権*9が現在どのような状態かわからないので、ここでは musixmatch より一部引用の形を取ります。)
Dağlar qızı Reyhan Reyhan Reyhan
ダラル グズ レイハン レイハン レイハン
Parlaqdır ulduzun Reyhan Reyhan
パラグドゥル ルドゥズン レイハン レイハン
Aləm sənə heyran heyran heyran ×2
アラム サナ ヘイラン ヘイラン ヘイランNə qəşəngsən ay qız
ナ ガシャンサン アイ グズ
Gül çiçəksen ay qız
ギュル チチャクセン アイ グズ
Birdanəsən ay qız
ビルダナサン アイ グズ
Dürdanəsən ay qız
デュルダナサン アイ グズLyrics: Tələt Әyyubov
引用元:musixmatch
(日本語訳)
山岳の少女、レイハン、レイハン、レイハン
あなたの星は輝いている、レイハン・レイハン
世界は君に感嘆する、感嘆する、感嘆する ×2あなたはなんて美しいんだ、少女よ
あなたは花のようだ、少女よ
あなたは唯一無二だ、少女よ
あなたは真珠のようだ、少女よ
※イメージ (ChatGPT-4o)
歌詞は最初から最後まで山岳の少女レイハンに対する甘い言葉で埋め尽くされていました。2番、3番もこの調子で「美人の中の美人」、「私の初恋」、「君の瞳はとても黒い」、「君の言葉は蜜よりも甘い」のように続きます。
しかし作曲における芸術的革新性とは対照的に歌詞はあまりにも単純、ただただベタ惚れという感じです。ソ連時代で言論に制限があることは想像に難くありませんが、もしそうだとしても具体的なキーワードが無さすぎると思いませんか?逆にこのことにも何か思惑があるのでしょうか?もう少し探ってみたいと思います。
レイハンとは誰か
この曲の背景を調べていると、次のような言説にたびたび行きつきます。
1918年3月、ハチマズのパダル村で行われたアゼルバイジャン人の結婚式をアルメニア革命連盟(ダシュナク党)の支持者らが襲撃するという事件が発生。新郎、親族、参列者らが殺害される。花嫁のレイハンは機転を利かせて身の危険を回避、その後山へ逃がれ身を隠した。1年後同志を集めてダシュナクの群衆のいるグバのゲリンガヤ村を襲撃した。1928年、アルメニアのダシュナク党はレイハンを「反ソビエト」として逮捕、銃殺刑を宣告。しかしアゼルバイジャンの時の指導者ミール・ジャファール・バグロフによって一命を救われた。その後レイハンはクリミアの修道院へ送られ別の名前に変えられて、そこから二度と出ることは許されなかった。
要するに、アルメニア人に惨殺された夫の仇討ちを遂げるも流刑に処される悲劇のヒロインに捧げられた歌である、という説です。「山岳の少女レイハン」とは「山へ身を隠した若い女性レイハン」ということなのでしょうか。
現在アゼルバイジャンの一部のネットニュース*10やYouTubeチャンネル*11から同様の仇討ち説が発信されています。そして各種SNSを通してあちこちに流布されています。アゼルバイジャンの最高指導者ミール・ジャファール・バグロフ(Mir Cəfər Bağırov*12)の尽力のおかげで死刑を免れたことも強調されます。
この説の信憑性に関しては、昨今の不安定な南コーカサスの地域情勢に絡むナショナリズムのバイアスがかかっていることにも注意が必要です。
一方、1件だけですが別の説もありました。世界中のアゼルバイジャン人に関連する諸問題を議論する雑誌「アゼルバイジャン・インターナショナル(Azerbaijan International)」の2005年春号に「私がレイハン本人です」という著者のエッセイ「What's in a Name? Reyhan - That Girl, That Song」*13が掲載されています。
著者レイハン・レイナルディ(Reyhan Reynaldi)は1951年バクー生まれのアメリカの地質学者。父は陸軍将校、母は歯科医で油井をいくつも所有していた中産階級の家の出身という、アゼルバイジャンではとても恵まれた家庭に生まれました。レイハン・レイナルディはエッセイの中で『実際、この歌は、母の意に反して父が娘の名前を「レイハン」に変更した少女について書かれたものです。その少女とは私だったので、私はそのことを知っています!』と明言しています。曰く、
両親には4人の子供がいて、私は3番目でした。母方の家族は、姉の名前「タラナ(Tarana)」と韻を踏むので私に「ドゥルダナ(Durdana)」という名前をつけました。当時は兄弟姉妹に似た響きの名前を付けるのが流行っていました。母はバクーの文化と伝統を強く支持していましたが、父の無神論的で反抗的な精神はアゼルバイジャン中北部の都市ガンジャの伝統を反映していました。
しかし、それでも父はこの新しい名前であるレイハンに夢中でした。父は、これは非常に革命的で、どんな女性でもこの名前からさらなる強さとエネルギーを得られると考えていました。彼は、そのような名前はどんな女性でも誇りに思うだろうと確信していました。実際、レイハンはアゼルバイジャンの名前の宝庫の中では新しい名前でしたが、ペルシャ語とヘブライ語の両方でかなり人気がありました。レイハンという言葉は、新鮮で香りがよく、繊細で青々とした緑のおいしいハーブ、バジルを意味します。引用元:Azerbaijan International [link]
このレイハンさん、最初は母方の家族によって「ドゥルダナ(Durdana)」と名づけられたようです。しかし2、3歳のころ、強い信念を持つ父親は母親に無断で「レイハン(Reyhan)」という、当時伝統的なアゼルバイジャンの女性の名前にはなかったいわゆる”キラキラネーム”に改名してしまった、とのこと。
レイハンさんのエッセイはまだ続きます。
父の親友の一人である有名な詩人タラート・エユボフは、我が家で私たちと多くの時間を過ごしました。タラートは新しい詩のことで悩んだり、孤独な生活について愚痴をこぼしたりすることが多かったが、シェイクスピアの作品をアゼリ語に翻訳したこともあり、父は彼をとても才能のある人物だと思っていました。
引用元:Azerbaijan International [link]
重要な接点が見つかりました。レイハンさんの父とタラート・アイユボフは親友だったとのこと。
私の名前を変えたことで母に与えた不幸が父の心に重くのしかかり始めました。父は母に償いをするために何かをしたいと思っていましたが、何をしたらよいかよくわかりませんでした。若い妻と、彼女の強い意見を持つ父親*14、そして他の親族にどうアプローチしたらよいか。父はタラートに打ち明けました。彼らがある計画を思いつくまで、そう時間はかかりませんでした。
数日後、母はサプライズのためにダイニングルームに招かれました。そこでタラートは「レイハン」として知られるようになった「ドゥルダナ」という名の少女についての詩を朗読しました。その詩では、彼女は美しく、魅力的で、唯一無二であると表現されていました。彼女のルーツは山にまで遡ることができると書かれていました。実際、私の父の姓であるゴシュガルリは、小コーカサス山脈のゴシュガル山に由来しています。
そのジェスチャーは母に深い印象を残しました。それは、シェイクスピアを翻訳した有名な詩人タラート・エイユボフが書いた、彼女の少女に捧げられた詩でした!どうやら母はその考えにしかたなく満足したようです。
引用元:Azerbaijan International [link]
レイハンさんの父の名はオルジ・ゴシュガルリ(Oruj Goshgarli)。姓は小コーカサス山脈*15の山岳の一つゴシュガル山*16に由来するとのこと。すなわち「山岳の少女レイハン」とは「ゴシュガルリの娘レイハン」を意味しているということになります。
そして詩(歌詞)の中にもう一つ興味深い秘密が隠れていました。歌詞のサビの部分の最後のセンテンスを思い起こしましょう。
Dürdanəsən ay qız
デュルダナサン アイ グズあなたは真珠のようだ、少女よ
レイハンさんの最初の名前は「Durdana(ドゥルダナ)」でした。一見単純で何も手掛かりのなさそうな歌詞に見えましたが、こんなところにちゃっかりメッセージが仕込まれていたようです。これは本人や家族でなければ気づけないところかも知れません。また、幼い娘の親の気持ちを代弁するならば、「輝いている」、「美しい」、「花のようだ」、「唯一無二だ」など、無償の愛の言葉で埋め尽くされた詩であってもなんら不思議ではないのかもしれません。
さて、たくさん見つかる仇討ち説とたった1件しか見つからないレイハン本人という著者のエッセイ、これ以上の証拠や証言が見つからないとするならば、皆さんはどちらを信じますか?
むすび
今回はアゼルバイジャンの1960年のフォークソング「Dağlar qızı Reyhan」について音楽的側面と歌の背景を紹介しました。
「Dağlar qızı Reyhan」は1953年のオペラ「セヴィル」で協働した3人の音楽家・芸術家が再結集して作り上げた、シンフォニック・ムガームという当時の革新的な音楽形式をベースにした楽曲でした。
歌詞は詩人タラート・アイユボフの詩によるものでしたが、言葉がとても単純で何かを示唆するようなキーワードは一見含まれてなさそうに見えました。そのためか歴史背景を都合よく張り合わせた俗説も見うけられます。一方、詩の少女本人と言う著者のエッセイには、詩の謎にせまる内輪話が述べられており、詩がとても単純だったのもうなずける内容でした。ただしこれ以上の確証はまだ見つけられていないので、真偽のご判断は読者の方々にお任せします。
最後に一曲、現代的なアレンジの「Dağlar qızı Reyhan」の例を。国際的な音楽ゲーム番組フランチャイズ「The Masked Singer」*17のアゼルバイジャン版「Maska」*18の公式番組動画から。
Xarıbülbül | Dağlar qızı Reyhan | #maskaitv
Maska Azerbaijan, 2023
昔のフォークソングの現代的なアレンジはこの辺りの国々ではよく見られますが、ダンスの振り付けにもブレイクダンスの中にアゼルバイジャンの伝統の振りが用いられていてなかなか面白いです。これが今のアゼルバイジャンなのですね。■
今回紹介した曲のリスト
Zeynəb Xanlarova - なし
*1:Fikrət Əmirov - Wikipediaアゼルバイジャン語版 [link]
*2:Rəşid Behbudov - Wikipediaアゼルバイジャン語版 [link]
*4:Cəfər Cabbarlı - Wikipediaアゼルバイジャン語版 [link]
*5:例として、Sevil (Opera - 2012),
Azərbaycan Dövlət Akademik Opera və Balet Teatrı - YouTube (1h33m18s) [link]
*6:Ö. Türkmenoğlu and Z. Deniz: "Fikret Amirov's role and contributions in the development of Eastern Symphonic Music: A view on contemporary art in Azerbaijan from Fikret Amirov's perspective," Review Article, Journal for the Interdisciplinary Art and
Education, 3(1), 19-28, March 2022. [pdf]
*7:Zeynəb Xanlarova - Wikipediaアゼルバイジャン語版 [link]
*8:Dağlar Kızı Reyhan, Burç Film - YouTube (1h20m59s) [link]。なお、権利関係の都合と思われますが主題歌の部分は音が削られています。
*9:アゼルバイジャンの著作権保護期間は著作者個人の没後または法人・その他団体による公表後50年間。ただしソ連時代にため著作権が著作者個人に帰属していたかは不明。また著作者タラート・アイユボフの生没年も不明。
*10:"Ermənilər zorlamasın deyə üstünə nəcis yaxdı, dağlara qaçdı - Bağırov Reyhanı necə xilas etdi?" - oxu.az [link]、"Dağlar kızı Reyhan; Azerbaycan'dan Ukrayna'ya dek Uzanan Destan" - 59haber.com [link]、"Ermənilərə divan tutan qıza həsr olunmuş mahnı: "Reyhan" - TARİXÇƏ" - teref.az [link] など。
*11:"DAĞLAR QIZI REYHAN" MAHNISININ TARİXİ - BİLİNMEYEN GERÇEKLER [link]、“DAĞLAR QIZI REYHAN” MAHNISI NECƏ YARANDI? - Yeni Azərbaycan TV [link] など。
*12:Mir Jafar Baghirov - Wikipedia英語版 [link]
*13:Reyhan Reynaldi: "What's in a Name?
Reyhan - That Girl, That Song," Azerbaijan International, Spring 2005 (13.1), pp. 78-79. [link]
*14:訳注:レイハンの母の父親、石油男爵ララエフ(Oil Baron Lalaev)。
*15:小コーカサス山脈 - Wikipedia日本語版 [link]
*16:Qoşqar dağı - Wikipediaアゼルバイジャン語版 [link]
*17:韓国で2015年から続く音楽番組「覆面歌王(King of Masked Singer)」をもとに世界50か国以上でリメイクされ配信、現在も続く。有名人がマスクを被って登場しパフォーマンスを披露、その覆面パフォーマーの正体を推理するという内容。日本版はAmazon Prime Videoで配信(MC:大泉洋、児嶋一哉)。