Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Bjeri Gajdes, Gajdexhi ~ 吹け ガイデを ガイデ吹きよ ~(アルバニア~ユーゴスラビア/コソボ)

今回はアルバニアの音楽を取り上げます。

「Bjeri Gajdes, Gajdexhi(ビェリ・ガイデス・ガイデジ)」という、バルカン半島の伝統的なバグパイプであるガイデを吹く演奏者に焦点を当てた音楽と歌がテーマです。

 

まずはどんな曲か聴いてみましょう。最初の動画はアルバニアのガイデ奏者アドナン・アリウ(Adnan Aliu)によるガイデの演奏。2014年のYouTube動画です。

Adnan Aliu - Gajdexhi | Albanian Bagpipe Music
BeniProduction (2014)

アルバニア語でガイデ(またはマケドニア語でガイダ)とはバルカン半島南部地域で広く知られる伝統的なバグパイプを指すします*1。アルバニアではそれほどガイデ演奏が盛んということはないようですが、伝統的には知られています。

 

この曲はバルカンの伝統音楽で見られるガイデとダウル(大太鼓、タパンとも)で構成されています。切れ目なく鳴り続けるメロディと通奏低音がとても印象的な一曲です。

 

今回取り上げる話題は、アルバニアと、隣国のコソボにもまたがった、なかなか微妙なお話です。

 

本題の前に

さて、アルバニアという国、音楽や踊りにはあまり馴染みがないという方も多いと思いますので、本題に入る前に地図と背景を確認しておきましょう。ご存知の方は読み飛ばして頂いて構いません。

アルバニアは上の地図中央の薄紅色で表される地域。モンテネグロ、北マケドニア、ギリシャ、そして2008年にセルビアから独立したコソボ *2と国境を接しています。そして西側に広がる海の対岸にはイタリアがあります。イタリアとは意外に近く、約72kmしか離れていません。

アルバニア共和国の主要民族は、古代イリュリア人を祖とする民族的アルバニア人で、国内人口の約91%を占めます。アルバニア系の人々はその周辺地域にも広がっており、北東に位置するコソボでは人口の約92%、東の北マケドニアでは約24%、そしてモンテネグロでは約5%がアルバニア系とされます。

東西冷戦期のアルバニア人民共和国は隣接するユーゴスラビア社会主義連邦共和国(マケドニア、モンテネグロ、そして当時セルビアのコソボ自治州等を含む)と対立し、1948年以降は国交を断絶していました(1971年に一部緩和)。

 

手短ですがこのような背景を踏まえておくと、この後の話題が少しわかりやすくなるかと思います。

では曲の話を始めます。

 

Bjeri Gajdes, Gajdexhi とは

先ほど紹介したガイダ演奏はとても素朴で、アルバニアの山中の牧歌的な風景を思い浮かべそう。ですが、どこかの村々に受け継がれた伝統的なメロディと思いきや、実は20世紀のアルバニア人民共和国(以下、誤解のない範囲で単にアルバニアと表記)の音楽家で人民芸術家の名誉称号を持つティシュ・ダイヤ(Tish Daija)が創作した曲なのだそうです。「Bjeri Gajdes, Gajdexhi」は彼がアルバニア国立民謡舞踊団の芸術監督だった1962年の作品の一つです *3


Tish Daija (1926-2003)
FotoTirana, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

「ガイデジ(gajdexhi)」とはガイデを演奏する人のこと。「ガイデ奏者」や「ガイデ吹き」などと訳されます。曲のタイトル「Bjeri Gajdes, Gajdexhi(ビェリ・ガイデス・ガイデジ)」は「吹けガイデを、ガイデ吹きよ」という意味になります。

タイトルは命令・願望的な口調になっておりメッセージ性が見うけられます。舞踊団の演目として作られたのであれば、曲の背景には明確なテーマが存在していたとも考えられます。

 

この曲には歌もあるようなのですが、もともと作曲時に作詞もされていたかどうかは不明です。なかなか当時の情報にたどりつけず、残念ながら何も確認することができませんでした。現在知られている歌詞も様々で、どれが本来の歌なのかよくわかりません。

 

ユーゴスラビア・コソボでの進化

歌の収録例として現在確認できている一番古いものは、アルバニア国内ではなく、1969年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国(以下、ユーゴスラビア連邦と略記)のレコード会社ユーゴトン(Jugoton)から発行されたレコードで、「Gajdexhiu(ガイデジウ)」というタイトルで残されていました *4

Gajdexhiu
Shahindere Bërlajoli - Gajdexhiu, Jugoton – EPY-4193 (1969)

この「Gajdexhiu」は前出のアドナン・アリウのガイダ演奏に比べてぐっと民族色が強く押し出されています。アルバニアで作られたオリジナルも本来はこういう感じだったのでしょうか・・・、今のところ何とも言えません。

 

歌詞は次の通りです。

Sot ka fest koperativa
vit i mbar, vit i begat
me grurë plot, koperativa,
përshëndet bukën e re.

(Ref.)
Të lumt dora gajdexhi
bjeri, mos tu thaftë dora.
gajdexhi, esmer i ri,
po, të pres e gjura *5

Vit i mbar, vit i begat
lum e lum për fshatin ton
jet(e) e re që po agon
bie gajdja deri von

(Ref.)

Ato vasha, vasha t’ reja
hedhin vallen shëndever.
Bie gajda e gajdeja
eja me ne gajdexhi.

(Ref.)

出典:EEFC Balkan Folk Songs, USA (1996) *6

今日は協同組合の祝祭だ
良い年、豊かな年
小麦で満ちて、協同組合は
新しいパンに祝意を捧げる

幸あれその手に、ガイデ吹きよ
吹け、君の手が疲れぬように
ガイデ吹き、褐色の若者よ
さあ、笛も君を待っている

良い年、豊かな年
我らの村にとって喜ばしい
いま明ける新たな暮らし
ガイデは遅くまで鳴り響く

あの娘たち、若い娘たちが
元気にヴァレ *7 を踊る
ガイダは、ガイデヤは *8 鳴り響く
おいで、我らと一緒に、ガイデ吹きよ


歌のイメージ:Google Gemini Imagen

村の収穫祭の様子を描いた祝いの歌のようです。協同組合を中心に農業に従事する若者たちの希望と喜びを織り込んでいるあたりが時代を反映しているようです。

 

さて、この歌がユーゴスラビア連邦で作られたのか、それともアルバニア側で作られたのか、残念ながらこの歌詞から見きわめることはできませんでした。

かつてのユーゴスラビア連邦には多くのアルバニア系住民が住んでいましたので、アルバニア語の歌のレコードが販売されていること自体は特に不思議なことではありません。しかし、当時鎖国中のアルバニアから対立するユーゴスラビア連邦へ、どういう経緯でこの音楽が伝わったのかは謎です *9

理由は定かではありませんが、ともかくも「Bjeri Gajdes, Gajdexhi」はこの時代にコソボのアルバニア人の心にも着実に根を下ろしていったようです。

 

その後、1990年代初頭にユーゴスラビア連邦が崩壊すると、歌詞からは社会主義的な内容が削られ *10、さらにセルビアからのコソボ独立の気運が高まった2000年代には歌詞はアルバニア民族主義的な色合いを強めて行きます *11

 

次の動画はシュパト・カサピ(Shpat Kasapi)の「Bjeri Gajdes Gajdexhi」という曲です。コソボがセルビアからの独立を宣言した2008年に初回リリースされました。


Bjeri Gajdes (Live) - Shpat KasapiFole Publishing (2015) (First released in 2008)

このような内容 *12 

今日は祭りだ、アルバニア全土が
踊りが踊られ、そして止まらない
丘が轟き、銃声が鳴り響く
鳴らせガイデを、おお若者よ

吹けガイデを、ガイデ吹きよ
吹け、君の手が疲れぬように
ガイデ吹きよ、おお若者よ
今日はコソボ(中)が祝っている

歌詞にはアルバニアとコソボという二つの地域が読みこまれ、コソボ独立を祝う様子が描かれています *13

これらの曲は現在でも数多くのコソボ出身のアーティストによって歌われたり、結婚式で踊られたり、またDJミックスなどで進化し続けているようです。

 

アルバニアでの復活

一方、アルバニアではこの曲は長い間忘れ去られていたようです。曲を復活させたのはアルバニア北部出身の歌手のアルタン・コラ(Artan Kola)、2002年頃のことでした。

2010年、コラにインタビューを行ったライターのアルベルト・ゾーリ(Arbert Zhorli)の記事にその詳細が書かれていました。

要約:(アルタン・コラが)ティラナの「21デトリ」地区で音楽カセット店を営んでいたある日、若い中国人女性が「Bjeri gajdes, gajdexhi」と「Dasma e malësorit(山の婚礼)*14」を買い求めに来た。中国の国営ラジオでは毎日30分アルバニアの歌番組が放送されており、特に「Bjeri gajdes, gajdexhi」はよく聴かれるヒット曲とのこと。店内を探して「Dasma e malësorit」は見つかったが「Gajdexhiu」は見当たらず、後日ラジオ局や友人づてに探して入手した。2曲を入手後、本格的に編曲・再制作に取り組み始めた。

参考:Albert ZHOLI, Zemra Shqiptare, 2010 *15

 

そしてコラはこの曲を現代風にアレンジしてステージに立ちました。次の動画はコラ版「Bjeri Gajdes Gajdexhi」です。

Artan Kola - Bjeri Gajdes Gajdexhi (Official Video)
ASL STUDIO (2019)

このような内容 *16 

結婚式はない、おお、ダウルがなければ
踊りはない、おお、踊り手がいなければ
みんなが歌って、そして踊って
今日この結婚式が止まらないように!

吹けガイダを、ガイデ吹きよ
吹け、君の手が疲れぬように
ガイデ吹きよ、若者よ
おおお、君の出番がやって来た!

コソボのと異なり、アルバニアのアルタン・コラ版「Bjeri Gajdes Gajdexhi」では結婚式を祝う歌詞になっています。ただしこの歌詞が作曲当時のオリジナルであったかどうかまではゾーリの記事に記載がなく、これ以上の詳細はわかりません。

 

さらにゾーリの記事には、楽曲制作後の予想外の展開も書かれていました。

数日して、店に音楽家のモンド・マンツァクとティシュ・ダイヤがやって来た。2002年のことだ。自己紹介を交わした。偉大な作曲家に会えて嬉しかった。折よく、ティシュ・ダイヤ教授に私(アルタン・コラ)は言った――「先生、私が再制作した曲があります。お聴きいただけますか」。彼は「いいよ」と答えた。私は「Gajdexhi」をかけた。聴き終えると彼は「もう一度かけてくれ」と言い、私はもう一度再生した。彼は耳を傾け、やがて涙ぐみはじめた。少しして彼は言った。「この曲の作者が誰か知っているかい?」――「知りません」と私は答えた。「この曲は私のものだ。1962年に作曲した」。最後に彼は「お願いだ、そのCDにあなたのサインを書いて私にくれないか」と言った。私は手渡した。彼はうれしそうに店を後にした。

参考:Albert ZHOLI, Zemra Shqiptare, 2010 *17

1962年にダイヤが作曲したこの「Bjeri Gajdes, Gajdexhi」が、40年の時を経て復活し、進化した形で2002年に作曲者の元に帰ってきた、という記事。すべて本当なのか盛っているのか、美談としてはでき過ぎな気もしますが、なかなか面白い記事でした。

 

このゾーリの記事は、近年他のいくつかのWeb情報メディアでも焼き直しして再び取り上げられています *18。来年(2026年)がティシュ・ダイヤ生誕100周年にあたることと関係しているのかもしれません。

 

まとめ

1962年にアルバニア人民共和国の作曲家ティシュ・ダイヤによって作曲された「Bjeri Gajdes, Gajdexhi」は、1969年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国でレコードに収められ、その後コソボのアルバニア人の間で独自の進化を遂げました。一方アルバニアでは、この曲は長く忘れ去られ、それがあるきっかけで復活し、さらに偶然が重なって作曲家の元に帰ってきたという、奇跡のような美談がありました。時代や場所によって収穫祭の歌、民族主義的な歌、あるいは結婚式の歌など、中身はそれぞれ異なるものの、「ガイデジの歌」は祝いの歌としてアルバニア系の人々に歌い継がれてきたようです。

 

最後は「Bjeri Gajdes, Gajdexhi」で楽しく踊っているシーンで締めくくりましょう。この映像はイタリア・ベニス近郊のレストランでダンスを楽しんでいる映像です。イタリアは海を挟んでアルバニアのすぐお隣の国。アルバニア系移民も住んでいます。


Zhaku Qelibari & Maya Alickaj - Bjeri Gajdes Gajdexhi (Live Music Video)
Zhaku Qelibari (2021)

アルバニアやコソボを含むバルカン半島の国々では、上の映像のような3小節のステップパターン(① 右,左;② 右、タッチ;③ 左、タッチ;)の踊りがごく一般的に見られます。タッチのところは気分の盛り上がり具合によってキック、リフト、またはホップにも変わります。踊りの節目と音楽の節目がその進行とともに1小節ずつずれていく、ここにバルカン半島の踊りの妙味があります。■

 

*1:アルバニア語・セルビア語:gajde、ブルガリア語・マケドニア語:gajda、トルコ語:gayda、ギリシャ語:gkáinta (γκάιντα)、スロバキア語:gajdy、スペイン語・ポルトガル語:gaita、など。

*2:コソボ共和国。2008年セルビアからの独立を宣言。ただし世界では独立を承認していない国々も数多い(国連加盟国の半数近くは承認していない)ことに注意。「Kosovo」と書くが日本では「コソヴォ」ではなく「コソボ」と読むことが通例。

*3:Tish Daija, Wikipediaアルバニア語版 [link]

*4:Shahindere Bërlajoli – Pse Je I Idhnuem Djal Në Mue, Jugoton – EPY-4193 (1969); Këngë Popullore Shqiptare, Jugoton – CAY-14 (1970); Vaj Moj Lule (Këngët Dhe Vallet Popullore Shqiptare), Jugoton – LPY-V-853 (1971); Epy Ploče - Kosovo 2, Croatia Records, 2013.

*5:gjura:意味不明。参考文献「Balkan Fok Songs」の英訳例では「the flute is waiting for you.」となっており、また音源では「ジョーラー」と発音しているように聞こえることから、短い羊飼いの笛「xhura(ジューラ)」の可能性が高いと思われる。他、カヴァルに似たツルラ(curla)、またはリード楽器のズルラ(zurla)の可能性も考えられる。

*6:"Gajdexhiu," Balkan Folk Songs, edited by C. Silverman and R. MacFarlane, East European Folklife Center, USA (1996), pp.68-69.

*7:輪舞。セルビアのkolo、マケドニアのoro、ギリシャのhorosに同じ。

*8:gajda, gajdeja: 方言の揺れ?単に強調?

*9:1966年、ユーゴスラビア連邦において対分離主義勢力強硬派の政治家アレクサンダル・ランコヴィッチ [Wikipedia] が失脚。その後アルバニアとの関係改善が進められたことと関係があるかも知れません。

*10:イリレット&ガンヤ(Grupi ILIRET Shemi Krasniqi & Ganimete Abazi GANJA, Gajdexhi, 1995)[動画]、アデリーナ・ピレヴァ(Adelina Pireva, GAJDEXHIU, 1996)[動画] など。

*11:ザンフィナ・イスマイリ(Zanfina Ismajli, GAJDEXHIU, 2003)[動画]、シュパト・カサピ(Shpat Kasapi, 2008)[動画] など。

*12:著作権を考慮し歌詞そのものの掲載は控えます。

*13:他のアーティストの例ではさらに「ドゥカギン」(コソボのメトヒヤ地域~アルバニア北部)、「テトヴォ」(北マケドニア)、「アルバニア人の土地」(シュチプタリア)など、アルバニア人の住む地域に関する言葉も出てきます。Zanfina Ismaili – Gajdexhiu, LyricsTranslate. [link] など。

*14:Sali Brari - Dasma e malësorit [YouTube]

*15:Albert  ZHOLI: "Artan Kola: Kur dëgjoi këngën e gajdexhiut, Tish Daia qau," Zemra Shqiptare, 16.09.2010. [link]

*16:著作権を考慮し歌詞そのものの掲載は控えます。

*17:Albert  ZHOLI: "Artan Kola: Kur dëgjoi këngën e gajdexhiut, Tish Daia qau," Zemra Shqiptare, 16.09.2010. [link]

*18:Albert Z. Zholi: “Gajdexhiu … hit në Kinë, e panjohur në Shqipëri!," Konica, 2021年3月18日 [link] ; Albert Z. Zholi: “Gajdexhiu … hit në Kinë, e panjohur te ne, flet Artan Kola," ObserverKult, 2022年3月12日 [link] ; Albert Z. Zholi: "Flet këngëtari i talentuar mirditor, Artan Kola,"  Bota sot, 2024年2月1日 [link]