今回のテーマは「Razgranala Grana Jorgovana(ラズグラナラ・グラナ・ヨルゴヴァナ)」、コソボのプリズレンにおける伝統的なセルビア民謡です。
最初の曲、演奏は民俗アンサンブルの一つの Ansambl Venac(アンサンブル・ヴェナツ)、歌はソリスト Tamara Kapetanović(タマラ・カペタノヴィッチ)です。
TAMARA Kapetanović - Razgranala grana jorgovana
THE_VISION_GRACANICA (2022)
民俗アンサンブル Venac は、セルビアに二つ存在するプロ民俗音楽舞踊アンサンブルの一つ。コソボ共和国の首都プリシュティナ南部のグラチャニッツァを活動拠点にしています。Venac はコソボ・メトヒヤ地域*1におけるセルビアの国家遺産、伝統、文化、民間伝承の保存、そして若い世代へ知識とスキルのすべてを伝えることを目的に、歌とパフォーマンスの活動をしています。*2。
本題の前に、少し脱線してコソボにおける民族事情に触れておきます。
コソボにおけるセルビア人とアルバニア人の問題については以前「【深掘り】Martesa / Kosovo」の回で取り上げました。外務省の基礎データ*3によれば、2021年現在コソボの人口179万人(2021年、世銀)のうち92%はアルバニア人で占められており、セルビア人は5%とのこと。歴史的な背景もさることながら、近年のコソボにおけるアルバニア人の増加は、アルバニア系住民の出生率の高さとコソボ紛争での非アルバニア系難民の流出も一因とされています。詳細は下記リンクをご参照ください。
ということで、今回はコソボにおけるセルビア人の伝承民謡という、少し微妙なテーマを扱います。このような話題の場合、情報源には民族主義(ナショナリズム)的意図を持った文脈も多分に含まれてきますので、その点を踏まえた上でできるだけ本来の民俗文化(フォークロア)の方に焦点を絞りたいと思います。
さて本題に戻ります。
Razgranala Grana Jorgovana は上の動画のようにとても優し気な3拍子の歌です。今日セルビアでは童謡、子守歌、そして子供たちの楽器練習にも広く用いられているようです。
またこの歌は「プリズレンスキ・フィリグラン(Prizrenski filigran、プリズレンの銀細工)」*4とも呼ばれるそう。フィリグランとは細い銀線を加工して作られる宝飾品で、プリズレンの伝統工芸の一つです。繊細で美しい銀細工の喩えは、この歌が何世紀にもわたってこの土地に大切に受け継がれてきたことを物語っているようです。
歌詞は以下の通りです。各行2回ずつの繰り返しです。上の動画は4番までですが、一般的には6番まであります。
Razgranala grana jorgovana.
Oj, lane Milane, Grana jorgovana.Pod njom sedi lepa Julijana.
Oj, lane Milane, Lepa Julijana.A pred nju je đerđef od merdžana.
Oj, lane Milane, đerđef od merdžana.Na đerđefu svilena marama.
Oj, lane Milane, svilena marama.Na marami svila đunđulija*.
Oj, lane Milane, svila đunđulija*.U ruci joj igla od biljura.
Oj, lane Milane, igla od biljura.* 意味不明
花が咲きました、ライラックの枝。
ああ、愛しいミランよ、ライラックの枝。その下に座っています、美しいユリヤナ。
ああ、愛しいミランよ、美しいユリヤナ。そして彼女の前にあります、珊瑚の刺繍枠。
ああ、愛しいミランよ、珊瑚の刺繍枠。刺繍枠の上に 絹のスカーフ。
ああ、愛しいミランよ、絹のスカーフ。スカーフの上に ?の絹糸。
ああ、愛しいミランよ、?の絹糸。彼女の手の中には 水晶の針。
ああ、愛しいミランよ、水晶の針。
「Oj, lane Milane」の「lane」は直接には子鹿を意味し、親愛な子供(dear child)を比喩的に表現します。ちなみにミラン(Milan)は男の子、ユリヤナ(Julijana)は女の子の名前です。
3番以降の歌詞は何かの喩えかファンタジーでしょう。珊瑚の刺繍枠、絹のスカーフ、そして水晶の針、いずれも簡単には手に入らない高価な物ばかりです(ジュンジュリヤ(đunđulija)は何かさっぱりわかりませんが)。
次に童謡の例を紹介します。セルビア語の子供向け YouTube チャンネル HeyKids.rs の Razgranala Grana Jorgovana です。(曲は前半だけで終わり。後半は同じメロディのカラオケです。)
Razgranala Grana Jorgovana + karaoke 🌸 Pesmice za bebe - HeyKids
HeyKids - Pesme Za Decu (2019)
CGのシーンは現代的にアレンジされており、民謡の雰囲気は少し異なるかもしれません。「ミラン、ユリヤナがライラックの木の下に座っているよ」といったシーン設定でしょうか。童謡の場合は2番で終わるのが普通のようです。
さてこの民謡、私は以前から(コソボ独立よりも前から)知ってはいたのですが、今までずっと7拍子の曲と思い込んでいました。今回は当初「セルビアの7拍子の民謡」を紹介するつもりでこの曲の情報収集を始めました。
ところが実際 YouTube で調べてみると、どれも3拍子の映像や音源ばかりで、7拍子バージョンが不思議なくらい見つかりません。どうもセルビアの人々の間では3拍子で取るのが一般的なようなのです。
そんな中、ようやく見つけた7拍子のバージョンの一つを次に紹介します。セルビア公共放送 RTS の2018年の公式ビデオから。歌はセルビア人音楽家 Ranko Šemić(ランコ・シェミッチ)です。
RAZGRANALA GRANA JORGOVANA – Ranko Šemić
RTS Najlepše narodne pesme - Zvanični kanal (2018)
セルビアというより、どっぷりマケドニアのような雰囲気の映像でした。まあでも7拍子バージョンもあるにはあるようで、ちょっと安心しました。
少し源流を遡ってみましょう。4つ目の曲は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代の1982年の Razgranala grana jorgovana。歌は Jordan Nikolić(ヨルダン・ニコリッチ)。RTS の公式音源です。
Jordan Nikolic - Razgranala grana jorgovana - (Audio 1982) HD
PGP RTS - Zvanični Kanal (2016)
この Jordan Nikolic の歌あたりがよく知られた代表的なバージョンのようです。
さて、この曲は何拍子でしょう?
ほぼ7拍子に聴こえます。しかし先ほどの Ranko Šemić の歌と比べると1拍目がわずかに短く、少し急いているような感じがします。3拍子のように聴こえなくもありません。あえて言うならば3/4拍子と7/8拍子の中間くらいでしょうか。
もう一つ、さらに遡って1978年にリリースされたモダンフォークのバージョンを。タイトルが異なっていてうっかり見落としそうになりましたが、拾い上げました。1972年結成の Ansambl Daniluška(アンサンブル・ダニルシュカ)の Savila Se Grana Jorgovana(サヴィラ・セ・グラナ・ヨルゴヴァナ)です。
Ansambl Daniluska - Savila se grana jorgovana - (Audio)
Ansambl "Daniluška", Za Svakog Ponešto, Jugoton – LSY - 61370, Yugoslavia (1978)
疲れた時に聴くと癒されそうな、知らないのに"何か懐かしい"雰囲気のフォークソングです。驚いたことに、きっちり3拍子でした。
私は今までこの Razgranala grana jorgovana は7拍子があたりまえと思い込んでいました(7拍子もあるにはありました)。しかしセルビアの人々には昔から3拍子でも知られていたことが、今回調べてみてわかりました。
アルバニア人やマケドニア人も多いプリズレンでは変拍子の民謡が特に珍しいわけではありません。しかしこの Razgranala grana jorgovana に関しては、もしかしたら3拍子の方が普通なのかもしれません。
民族的に機微な事情もあり結論づけるにはまだ早すぎますが、おもしろそうな話題の端緒が発掘できたのではないかと思います。
最後に一曲、ジャズ・バージョンの Razgranala grana jorgovana で締めましょう。1980年のジャズ・オーケストラの演奏、この曲も RTS の公式音源です。
Jazz Orkestar RTB - Razgranala grana jorgovana - (Audio 1980) HD
PGP RTS - Zvanični Kanal (2016)
一日の終わりに聴きたい安らぎの一曲。ばっちり3拍子でした。■
今回紹介した曲