Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Ibraim Odža ~ Bog da go bie! 神が罰してくださいますように! ~(北マケドニア)

今回は北マケドニアの民俗舞踊「Ibraim Odža(イブライム・オジャ)」の踊りと音楽を紹介します。

 

まずは次の動画から。イリヤ・ニコロフスキー=ルイ国立音楽バレエ教育センターの生徒たちによる舞踊演目の Ibraim Odža。2018年の映像です。

 

Ибраим оџа/Ibraim odza

Petar Pechkov (2018)

 

舞台は北マケドニア中央部の都市ヴェレス。山の斜面に住宅が立ち並ぶ1940~1950年代(おそらく第二次大戦後)のヴェレス市の写真を背景に、街なかで執り行われる結婚式の様子を表現しています。

結婚式の参列者は20世紀中頃の装い。男性はスーツに丸つばの帽子、女性は古風なドレス、楽団はチャルギア *1と呼ばれるトルコ風の演奏スタイルに則った衣装を着ています。

 

最初のつかみということでこの踊りが踊られる地域や時代感覚が掴めそうな演出の動画を選びましたが、果たしてこの Ibraim Odža は結婚式にふさわしい幸せな踊りや歌なのでしょうか?今回はこの Ibraim Odža について踊りと音楽の両面から掘り下げてみたいと思います。

 

 

Ibraim Odža Oro(踊り)

前述の動画は Ibraim Odža の踊り(Oro)がヴェレス(Veles)の踊りであったことを物語っていました。

下に北マケドニアの地図を示します。ヴェレスは北マケドニアのちょうど真ん中あたり。国際河川のヴァルダル川沿いに位置し、北マケドニアの首都スコピエ、古都ビトラ、ブルガリア(ピリン)のブラゴエヴグラトおよびギリシャのテッサロニキへと続く主要道路が交わる要衝の地です。

 

www.openstreetmap.org

北マケドニアの交通マップ。マゼンタの線は国境、黒い線は主要道路。ヴェレスは図の中央付近。

 

Ibraim Odža Oro は無形の伝承文化であるためいつ頃から踊られているかは定かではありません。何世紀も前と思われますが、踊りの記録としては1954年に体育教師・民族振付学者のガンチョ・パイトンジエフによる「アロ・トンチョフのヴェレス・チャルギアによって行われた踊り」が最も古い研究記録とされます*2

アロ・トンチョフのチャルギアの演奏については、現在スミソニアン・フォークウェイズ・レコーディングス*3によってデジタル化された当時の音源を聴くことができます。フォークロアを感じさせるとても良い演奏と歌声です。

 

Pesnata Ibraim Odža (The Song of Ibraim Odža)

Alekso “Alo” Tončov, Mustafa Eminov, Trajče Našev, Zdrave Stafilov, Music of Macedonia: Playing 'Til Your Soul Comes Out, Smithsonian Folkways Recordings (2015) 

 

この Ibraim Odža Oro は一般には Beranče(ベランチェ)という踊りに分類されます。もともとあった Beranče の踊りに Ibraim Odža の詩が後から付けられたのか、あるいは Ibraim Odža の詩が先にあってそれにあわせて Beranče が踊られたのかはわかりません。

Beranče のダンスビートはたいていの場合不均等な5拍。1拍目と4拍目が少し強調され、1ㇳ, 2, 3, 4ㇳ, 5(ㇳは半拍程度)、あるいは Slow-Quick-Quick-Slow-Quick などのようにカウントされます。拍子記号で表すならば12/〇拍子(=(3+2+2+3+2)/〇)のように表すのが一般的です(拍子記号の分母「〇」には「8」または「16」のいずれか。以下では省略)。

しかし実際この強調のされ具合はとてもフレキシブルであり、地域や楽団ごとにさまざまなパターンがあります。そのため拍子記号で表すと、11拍子(3+2+2+2+2)、12拍子(3+2+2+3+2)、13拍子(3+2+3+3+2)または(3+2+3+2+3)、15拍子(4+2+3+2+3)、16拍子(4+2+3+4+3)などさまざまな形になります。拍子記号は便利な指標でこれを利用している楽譜やダンスノートも多々ありますが、音をよく聴いて「ㇳ」のリズム感覚を身体で感じ取るのがやはり王道と思います。

 

Ibraim Odža の他にも Beranče と同じタイプの踊りには南西部の踊り のPušteno(プシュテノ)やビトラの踊り Kucano(クツァノ)などがあります。またギリシャでは Lithos Choros(リトス・ホロス)や Levendikos(レヴェンディコス)などと呼ばれています。

Pušteno(Žensko Pušteno Oro)と Kucano の例はそれぞれ次の通り。いずれの動画も、Ibraim Odža と同じメロディが使われている事例がありました。

 

КУД„Мирче Ацев“Прилеп - Женско Пуштено оро

Goran Vasileski (2015)

 

Kucano - Macedonian Oro Tutorial

MKUD Ilinden - Sydney (2020)

 

またこの踊りは、マケドニア人だけでなく、アルバニア人や一部のトルコ人にも共有されています。ヴェレス周辺にはアルバニア人も多く住んでおり、マケドニア人と同じように文化を共有していました。Ibraim Odža Oro はアルバニア語で Vallja e Ibrahim Hoxhës(ヴァリャ・エ・イブラヒム・ホジャス)と呼ばれ、北マケドニアやコソボのアルバニア人によって踊られています。

 

Vallja e Ibrahim Hoxhës - Rrënjët Tona

Red Media (2012)

 

Bog da go bie toj Ibraim Odža(歌と演奏)

今度は Ibraim Odža を歌と演奏の側面から探っていきましょう。

Ibraim Odža の歌は「Ibraim Odža」の他、「Bog da go bie toj Ibraim Odža(ボグ・ダ・ゴ・ビエ・トイ・イブライム・オジャ)」のように長い名称で呼ばれることもあります。

 

歌詞は次の通り。動画の歌を参考に読み進めてみてください。

 

Ansamb Biljana -Bog da go bie toj Ibraim Odza

INTV Official, Australia (2021) (注:前奏を44秒スキップ)

 

Bog da go bie toj Ibraim Odža,
toj Ibraim Odža, baš aramija,
toj Ibraim Odža, baš aramija.

Što mi izleze na Gučeva Češma,
na Gučeva Češma, so triesetmina,
na Gučeva Češma, so triesetmina.

(間奏)

Od tamu minale dva-tri kjumurdžii,
dva-tri kjumurdžii, mnogu siromasi,
dva-tri kjumurdžii, mnogu siromasi.

„Mnogu ti godini, bre Ibraim Odža,
mnogu ti godini, bre Ibraim Odža“.
Ibraim Odža im odgovara.

(間奏)

„Mojte godini, mnogu neka bidat,
vašite godini, malu neka bidat,
vašite godini, malu neka bidat,

aj idete dolu, vo Gučevo selo,
da im kažete na gučevčanite,
ruček da mi gotvet, za trieset duši,

(間奏)

ruček da mi gotvet, za trieset duši,
jagne pečeno, bela pogača,
em vino crveno, em vino crveno“.

 

神が罰してくださいますように、このイブライム・オジャを、
このイブライム・オジャを、あんな盗賊を、
このイブライム・オジャを、あんな盗賊を。

彼はグチェヴォの泉に向かったので、
グチェボの泉へ、30人の男たちを引き連れて、
グチェボの泉へ、30人の男たちを引き連れて。

(間奏)

そこを数人の炭焼きが通った、
数人の炭焼き、とても貧しい男たち、
数人の炭焼き、とても貧しい男たち。

「あなたの年が長続きしますように、イブライム・オジャ、
 あなたの年が長続きしますように、イブライム・オジャ」、
イブライム・オジャは彼らに答えた。

(間奏)

「私の年は多くあれ、
おまえたちの年は少なくあれ。
おまえたちの年は少なくあれ。

さあ下りて行きなさい、グチェヴォの村へ、
グチェヴォの人々に伝えに、
昼食を用意せよと、30人のために。

(間奏)

昼食を用意せよと、30人のために、
子羊のロースト、白いパン、
赤ワイン、赤ワイン。」

 

 

歌詞は「イブライム・オジャ」という人物にまつわる物語のようです。それにしても楽し気なメロディとは対称的に歌はかなり酷い言いようです。初っ端から「神が罰してくださいますように、このイブライム・オジャを」とはいったいどういうことなのでしょうか?読み解いていきましょう。


登場人物イブライム・オジャの「オジャ(Odža)」というのはムスリムの先生や師匠を意味する称号。位の高そうな人であることがわかります。

歌のシーンはイブライム・オジャが30人の手下を従えてグチェヴォの村に向かうところのようです。その道中、通りかかった貧しい炭焼き職人がイブライム・オジャに無礼のないようあいさつします。しかしイブライム・オジャは炭焼き職人を見下し、さらに30人分のご馳走を用意しておくようグチェヴォ村へ伝えに行けと命令します。

 

この歌、実はオスマン帝国時代の社会を象徴する物語です。このイブライム・オジャという人物はヴェレスを拠点に周辺の村々の農民から税を取り立てていた徴税人でした。イブライム・オジャは税の取り立てに容赦がなかったため、歌の中では「盗賊」と揶揄されています。

ただし実在の徴税人イブライム・オジャ個人に対する恨み節というよりは、むしろオスマン帝国を「イブライム・オジャ」に見立てて帝国が課した重税に対する不満を歌った普遍的な歌*4と捉えるのが良いようです。

ヴェレス周辺の村の一部では「イブライム・オジャ」の代わりに「デリ・ナスフ(Deli Nasuf)」という別の人物の名前があてられているそうです*5。またほぼ同じ歌が北マケドニア南西部の民謡として歌われている例*6もありました。その歌では、「アルダンツィ(Aldanci)のイブライム・オジャがプリレプ(Prilep)の平野、クルシェヴォ(Kurševo)の泉へやって来た」となっています。イブライム・オジャがヴェレスではなくアルダンツィの徴税人に変わっています。この歌にはさらに尾ひれがついて、卑劣な脅し文句で炭焼き職人を脅迫する歌詞が続きます。

実際オスマン帝国に支配されていた時代には各地の名士が帝国に代わって村々から徴税していました。この「イブライム・オジャ」のお話のような出来事は至る所で行われていたわけですね。

 

 

演奏事例もいくつか紹介します。この Ibraim Odža の拍子は一般的には12拍子とされていますが、前述のように11拍子から16拍子までさまざまなバージョンが知られています。以下はYouTubeで見つけたこれらの例です。

 

11拍子(3+2+2+2+2)

Ibraim odza oro ¹¹/⁸ - Grupa MAESTRO

Grupa Maestro, VELES - "Zvukot na Makedonija" (2022)

 

12拍子(3+2+2+3+2)

Ibraim Odza · Ljubojna
Ljubojna, Sherbet (2023)

 

13拍子(3+2+3+3+2)

IBRAIM ODŽA - ИБРАИМ ОДЖА - orch. Prijatno

( Folk orchestra Prijatno (1978) ? )


16拍子(4+2+3+4+3)

Ibraim Odza
Pangeo, Exit Visa (2008)

 

11拍子の例では演奏がスムーズに進行しますが、拍子の数が大きくなるほどリズムの「溜め」ができのんびりしたレトロな雰囲気に変化して行きます。こうして比較してみるとその違いがよくわかるのではないかと思います。

 

その他、5拍目が強調される13拍子の亜種(3+2+3+2+3)と15拍子(4+2+3+2+3)の拍子パターンが Folk Dance Musings*7 で指摘されていますが、これらの実例については今回YouTubeで見つけることができませんでした。

 

まとめ

今回は Ibraim Odža について、その踊りの地理歴史的背景と種類、歌に込められた意味、そして拍の取り方はフレキシブルで拍子記号では11拍子から16拍子までさまざまに表記されることをいくつかの事例で紹介しました。リズムに慣れないと難しい部類の踊りと演奏ですが、うまく乗っかることができれば他にはない新鮮な心地よさが味わえると思います。

 

ところで、冒頭で紹介した動画では結婚式で Ibraim Odža が踊られるという設定でした。実際他の動画でも結婚式で踊られているシーンは普通に見られます。しかし歌詞の内容は結婚式にふさわしいかというと、これはどうなのでしょうかね。

ただ、これは私自身の感想ですが、このような歌が高らかに歌えるのは良い時代であることの裏返しのようにも思えます。冒頭の動画では舞台の背景写真に「74 GODINI SLOBODEN VELES(74年間の自由 ヴェレス)」という題字が書かれてありました。2018年の動画であることから、第二次世界大戦終戦後から(チトー大統領の下で*8)ヴェレスが自由になったということを意味しているのかもしれません。戦後復興期の1950年代にこの演奏と踊りが研究記録や音声記録(レコード)に残ったというのも、もしかしたら偶然ではないのかもしれません。

 

最後に1曲、今回見つけた音源の中で最も古いと思われるものを紹介します。マケドニア・スペリー・レコード社*9から1951年にリリースされたSperry 10インチ赤ラベルシリーズの一枚。マケドニアなのにユーゴスラビアの Jugoton レーベルからではない珍しいレコードです。レコードのラベル紙には「ラジオ・スコピエのチャルギアによる演奏」であることが記されています。

メロディを聴いていると拍子がわからなくなりそうですが、パーカッションは12拍子をしっかりキープしています。レコードのノイズも含めて、当時の情景を彷彿とさせる非常に味わい深い演奏です。■

 

Ibraim Odza (Makedonsko narodno oro)

Čalgija Orkestar Radio Skopje, Sperry E1-KB-1520 (1951)
(動画:Steven Kozobarich (2012))

 

今回紹介した音源

Pesnata Ibraim Odža

Pesnata Ibraim Odža

  • Alekso “Alo” Tončov, Mustafa Eminov, Trajče Našev & Zdrave Stafilov
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Ibraim Odza

Ibraim Odza

  • Ljubojna
  • ワールド
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes
Ibraim Odza

Ibraim Odza

  • Pangeo
  • ワールド
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes
Ibraim Odza

IBRAIM ODZA

  • Čalgija Orkestar Radio Skopje
  • Sperry E1-KB-1520 (1951)
  • Free Download, Borrow, and Streaming via Internet Archive.org
  • Internet Archive [link]

*1:チャルギア(Čalgija):トルコ風の音楽様式でマケドニアの伝統的なリズムの曲を演奏する音楽ジャンルで、特にヴェレス、オフリド、ビトラ、テッサロニキなどの都市で発達したことから「古都の音楽」とも呼ばれます。ブルガリアの音楽ジャンルに「チャルガ(Chalga)」と呼ばれるポップフォークのジャンルがありますが、名前が似ているだけで中身は全然違います。

*2:Б. ИЛИЌ: "РЕЛЕВАНТНИ ЕТНОКОРЕОЛОШКИ И ЕТНОЛОШКИ КАРАКТЕРИСТИКИ НА ОРОТО ИБРАИМ ОЏА, ПРЕТПОСТАВКА ЗА СЛЕДЕЊЕ НА РЕГИОНАЛНАТА ИДЕНТИФИКАЦИЈА," ГОДИШЕН ЗБОРНИК 2012, ФАКУЛТЕТ ЗА МУЗИЧКА УМЕТНОСТ, УНИВЕРЗИТЕТ „ГОЦЕ ДЕЛЧЕВ“ – ШТИП (ゴツェ・デルチェフ大学シュティプ校音楽芸術学部), vol.3 No.3, 2012, pp.169-179 (ISSN 1857-8659). [link]

*3:Smithsonian Folkways Recordings。アメリカの国立スミソニアン博物館を運営するスミソニアン協会の非営利レコードレーベル。音声記録、保存、共有、教育資料の普及を通じて、世界の文化の多様性と理解の促進、自国の文化遺産に関わり他者の文化遺産への認識と評価を高めることなどをミッションとする。[link]

*4:《mp3音声による解説》Dragi Spasovski, Episode 6: Bog da go bie Ibraim-odža, Macedonian Postcards, IZVOR MUSIC. [link]

*5:Благица ИЛИЌ, 前掲書, p.171.

*6:Pesna.org の「Bog da go bie toj Ibraim Odzha」の2つ目の歌詞参照。[link]

*7:Vallja e Ibrahim Hoxhës - Ibraim Odža - Folk Dance Musings Andrew Carnie's Folk Dance Instructions [link]

*8:ヴェレスは1996年までユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーにちなんでティトフ・ヴェレス(Titov Veles)と呼ばれていました。

*9:Sperry Record。ただしレコード盤の生産はアメリカ。詳細は The Endendijk Collection [link] をご参照のこと。