ひさびさの【深掘り】テーマです。
今回はコソボのフォーク・ソング〈Martesa〉(マルテサ)という曲を紹介します。
最初はアメリカのレコード会社EMG*1のMundoレーベルからリリースされたコンピレーション・アルバム《Kängät Dhe Vallet E Shqiperice -Songs and Dances of Albania-》(誤記アリ*2)の〈Martesa E Lumtun〉(マルテサ・エ・ルムトゥン)から始めます。
Martesa E Lumtun
- 作 :Gazmend Zajmi
- 演奏 :Narodni Orkestar Radio Priština
- 歌 :Ismet Peja
- アルバム:Kängät Dhe Vallet E Shqiperice -Songs and Dances of Albania-
- レーベル:Mundo Sounds / EMG, USA (2022 Remaster)
Martesaの意味は「結婚」です。コソボ辺りでは結婚式の定番曲のようで、生演奏、カラオケ、ダンス、DJのBGMなどで、この曲が用いられています。
楽曲のタイトルには
- 〈Martesa〉(マルテサ:結婚)
- 〈Martesa e lumtun〉(マルテサ・エ・ルムトゥン:幸せな結婚)
- 〈Martesa Jonë〉(マルテサ・ヨーン:私たちの結婚)
など、いろいろな呼び方があります。
拍子は7/8拍子(♩.♩♩)。バルカン半島南部地域では民謡やポップスなどで広く用いられているお馴染みの拍子です。ダラブッカのオリエンタルな響きとハーモニック・マイナーのメロディが、この曲の独特なムードを演出しています。
ところで、この歌はアルバニア語で歌われています。ご存知の方にはそう不思議ではないかもしれませんが、コソボは旧ユーゴスラビア連邦域内にありながらスラブ系よりもアルバニア系の住民が多く住む地域です。
今回はコソボという地域事情やその後の楽曲の世界的な広がりなども織り交ぜながら、この〈Martesa〉という音楽のちょっと深いところを詳らかにしてみたいと思います。
(【深掘り】では文章量が多めなので目次が付きます。適宜休み休み読んでください。)
コソボとは?
そもそもコソボ(Kosovo、コソヴォ)ってどこ?と思っている人もいるかもしれませんので、まずその辺を先に片付けてしまいましょう。
下に地図を示しました。コソボはこの地図の真ん中に位置します。セルビア(北および東)、北マケドニア(南)、アルバニア(南西)そしてモンテネグロ(北西)に囲まれた内陸の地域です。
首都はプリシュティナ。地図右下の+ボタンで2回くらい拡大すると、地図の中央やや右側に出てきます。古代からエーゲ海とアドリア海を結ぶ陸路の要衝として栄えてきました。
コソボ第2の都市プリズレンも後で話題に出てきますので、ついでにご確認を。
コソボ地域の住民の大半はアルバニア系の人々です。他にセルビア系、トルコ系、そしてロマ(ジプシー)の人々も住んでいますが、あまり多くありません。
コソボは中世セルビア王国建国の地であり、またセルビア正教会の中心地でした。しかし1389年の「コソボの戦い」でセルビアはオスマン帝国に敗れこの地を失います。
1913年、バルカン戦争でセルビアがオスマン帝国からコソボを奪還。500年以上の時を経て、コソボは再びセルビアの一部(自治州)になりました。
このオスマン帝国統治の間、セルビア正教徒がこの地を離れる一方アルバニア人が入植してきたことにより、アルバニア系住民が多数派になっていったとのことです(諸説あるようです*3)。
現在ではコソボの人口の9割以上がアルバニア系住民で占められています*4。アルバニア系住民の出生率の高さに加え、1999年のコソボ紛争での非アルバニア系難民の流出も一因とされています。
2008年、コソボは”共和国”としてセルビアからの独立を宣言しました。セルビアは独立を承認していませんが、事実上コソボ政府がこの地を実効支配しています。
現在、国連加盟国のうち半数を少し上回る程度の国々がコソボを国家として承認しています(下図の青色の地域)。しかし承認しない(下図のオレンジ色)か、または態度を保留している国々も少なくありません。
このように、コソボ地域には地理的にも歴史的にも非常に複雑な事情が存在します。
本ブログでは、特に必要がなければ共和国か自治州かには触れず、地域の意味で「コソボ」の単語を用いることにします。
また地名の日本語表記には、「コソヴォ(セルビア語由来)」や「コソヴァ(アルバニア語由来)」ではなく、これまでの慣例に倣って「コソボ」という表記を採用します。
楽曲とレコードの話
本題に戻ります。
楽曲〈Martesa E Lumtun〉は、1965年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のPGP-RTB*5レーベルからリリースされたEP版レコード《Šiptarske Narodne Pesme》(セルビア語:シプタルスケ・ナロドゥネ・ペスメ(アルバニアのフォーク・ソング))に収録されたのが初出です。
演奏はコソボの地元放送局ラジオ・プリシュティナの専属オーケストラの一つ、ナロドゥニ・オルケスタル・ラジオ・プリシュティナ(Narodni Orkestar Radio Priština(フォーク・オーケストラ))によるものです。ラジオ・プリシュティナ(現ラジオ・テレビ・プリシュティナ(RTP))というのは第2次世界大戦後に創立されたユーゴスラビアのラジオ放送局の一つ。当時はコソボのアルバニア系の人々によるアンサンブル(フォーク、ポップス、交響楽団、合唱団)を束ねる役割も果たしていました*6。
そして歌には当時コソボで最も影響力があったフォーク歌手のイスメット・ペヤ(Ismet Peja)がソリストに起用されています。ペヤの柔らかい歌声がこの曲のムードをさらに引き立てています。
この楽曲〈Martesa E Lumtun〉を含む《Šiptarske Narodne Pesme》の全曲は、後に冒頭で紹介したコンピレーション・アルバム《Kängät Dhe Vallet E Shqiperice》に収められ、アメリカRequest Records社よりリリースされています*7。
さらに、楽曲〈Martesa E Lumtun〉は〈Bračno Oro〉(ブラチノ・オロ)(北マケドニア語:結婚の踊り)というタイトルで、セルビア人舞踊家ツィガ・デスポトヴィッチ(Ciga Despotović)のダンス用レコード・アルバム《Sixteen Yugoslavian Dances Created By Ciga I Ivon Despotovic 3》にも加えられました。リリース年は1970年代。こちらも前述のユーゴスラビアPGP-RTBレーベルからリリースされています。
ついでに、1970~80年代にツィガ・デスポトヴィッチが振り付けた踊りがどんなものかも見てみましょう。
上の動画は2015年にポルトガルのリスボンで行われたダンス・ワークショップの様子です。西ヨーロッパをはじめ、アメリカ、カナダ、台湾、香港、そして日本でも同様に踊られています。
そして、おそらくはこのレコードが発信源になったのか、〈Bracno Oro〉というタイトルでこの曲を演奏している事例を、オランダ、ドイツやアメリカの動画で見つけることができます。
ちょっと一息。
〈Bracno Oro〉が音楽アーティストの楽曲になった一例です。ドイツ・ベルリンのブラス・バンド、シュナフトゥル・ウッフチーク(Schnaftl Ufftschik)の〈Bracno Oro〉です。
Bracno Oro
- 演奏 :Schnaftl Ufftschik
- アルバム:Sabagold
- 権利表記:℗ 2015 Schnaftl Ufftschik, Germany
ガズメンド・ザイミ
ところでこの曲、実は作者がはっきりしています。古くから伝わる伝統音楽でも口頭伝承の民謡でもありません。いわゆるフォーク・ソングですが、ジャンルとしてはモダン・フォークやポピュラー音楽の類です。
作詞作曲はガズメンド・ザイミ(Gazmend Zajmi、1936-1995)*8。本業は法律家・政治学者(!)です。
ユーゴスラビアのベオグラード大学法学部卒業後、プリズレン裁判所判事および所長、プリシュティナ大学教授、そして同大学の学長を歴任しました。しかしユーゴスラビア政府に対する学生の抗議運動に参加したために学長職を追われます。その後コソボの地位向上と民族自決のための政治活動に加わり、1990年には新憲法の起草、編集に携わり・・・
どうやらとんでもないコソボの重要人物を引き当ててしまったようです。
しかし、ザイミは音楽創作については独学でした。小中高時代はアコーディオン、マンドリン、ギターに熱中しますが、ピアノを始めたのはベオグラード大学卒業後にプリズレンに移ってからとのこと。それでも自由な時間のほとんどを音楽に捧げ、自ら結成したエンターテインメント・オーケストラを指揮し、ピアノではさまざまなジャンルの音楽を演奏しました。作曲本を3冊、歌集を2冊出版しています*9。
現代のコソボを代表する音楽家・指揮者のラフェット・ルディ(Rafet Rudi)*10によれば、
彼の音楽は、常にコミュニケーション能力に優れており、リスナーに受け入れられやすかった。〈Martesa〉、〈Eja lule, lulëkuqe〉、〈S’mund të na ndal asnjë breg asnjë mal〉、〈Flutura〉、〈Xixëllonja〉などは、どこでも歌われた(そして今も歌われ続けている)曲である。 しかし残念なことに、彼は知識人として国民運動の分野で活動したために、その作品が常に芸術愛好家や人々の悩みの種となる作家の一人であった。 そのため、1981年以降、彼の歌は事実上すべてラジオやテレビから常に禁止されていた。しかし、それにもかかわらず、それらは絶えず歌われ、人々に好まれていた。
引用:Rafet Rudi: Gazmend Zajmi në muzikën shqiptare | Rafet Rudi - Composer & Conductor
なんと、1981年以降は放送禁止になっていたんですね。
〈Martesa〉は1960年代にコソボで生まれ、1970年代に現地の人々に愛されながらも、1980年代には放送禁止に。その一方、1970〜80年代にはこの曲に〈Bračno Oro〉という別のタイトルと踊りの振り付けが与えられ、姿を変えてコソボから遠く離れた欧米中日の国々に伝わり、そして今でも細く長く息づいている・・・
そのように考えてみると、この曲はとても数奇な運命をたどってきたのだなあと、感慨深くなります。今この曲が音楽ストリーミングを通して再び音楽楽曲として聴けるのも、実はとても奇跡的なことなのかもしれません。
なお、〈Martesa〉の作詞および作曲に対するザイミの音楽著作権は、現在もセルビアの音楽著作権団体SOKOJで管理されています。ザイミは1995年3月に亡くなっていますので、その翌年から70年後の2066年末までザイミの音楽著作権は存続します。
歌の中身
歌詞の著作権が存続しているので、ここで歌詞を書き出すのは控えます。できればザイミ著のオリジナル歌集の引用という形を取りたかったのですが、日本では入手できそうにありません。その代わり、どんなことが書いてあるのか雰囲気だけ触れておきたいと思います。
タイトルが示す通り「結婚」がテーマの歌です。
私たちの結婚は祝福されている、愛しい花の冠、ああ心は絶え間なく歌う、幸せの美しい歌を・・・(だいたいこんな意味)
マールテーサー ヨーーナシュテルムトゥン
コーノルズィミダシュ 二ーーース
オーーゼーマル クンドパプシュエ
カンテブクラトゥルム ニーーース
アーーアーアー アーーアーアー
アーーアーアー アーーアー
オーーゼーマル クンドパプシュエ
カンテブクラトゥルム ニーーース
こんな調子が最後までずっと続きます。もう幸せ以外に何も見えていないような感じの歌です*11。
しかしこれ以上ないくらいハッピーな歌なのに、メロディがやたら重々しく哀愁を漂わせてくるのは何故なんでしょうね?
そしてもう一点。
オリジナルの歌は、標準アルバニア語ではなく、コソボ地域で話される北東ゲグ方言*12で歌われています。なので歌詞を書き起こしても自動翻訳ではうまく訳せません。やはり方言の規則性を掴みながら地道に辞書を引いてみるのが良いようです。
最近ではコソボだけでなくアルバニア本国の歌手もこの楽曲を歌っていますが、コソボ方言ではなく標準アルバニア語がよく使われているようです。それらを2、3曲聴き比べると、使っている単語や発音、活用語尾など、それぞれオリジナルとは少しずつ異なる特徴があることがわかります。語学的に面白い発見もいろいろあります。
そのことを踏まえて、ちょっと雰囲気の良い最近の曲を紹介します。コソボの首都プリシュティナ出身のアーティスト、アスィム・ガシの〈Martesa Jonë〉(マルテサ・ヨーン)です。
Asim Gashi - Martesa jonë (Full HD)
- 歌 :Asim Gashi
- アルバム:Unplugge 2
- レーベル:Shpetasound (2020)
- 映像 :Rexhep Ibrahimi (2018)
7/8拍子は、実はこういう雰囲気にもよく合うんですね。西洋音楽的には変拍子と言われたりしますが、ぜんぜん変じゃないですよね。
イスメット・ペヤの〈Martesa E Lumtun〉と聴き比べて見ると、ちょこちょこ言っていることが違っていたり、”n”が”r”になっていたりすることがわかります。
まとめ
今回はコソボのフォーク・ソング〈Martesa〉という曲とその背景を深掘りしてみました。
この〈Martesa〉は、〈Martesa E Lumtun〉や〈Martesa Jonë〉という楽曲として、また〈Bračno Oro〉という名前*13の踊りの曲として、コソボやアルバニアだけでなく世界にも伝わりました。
コソボ地域の民族闘争の歴史に翻弄され、一時は聴けなくなっていたこともありましたが、今や音楽ストリーミングを通してこの楽曲が再び合法的に聴けるようにもなりました。
ガズメンド・ザイミの著作権は2066年末で失効します。そこから先は本当の「コソボの伝統民謡」になっていくんでしょうね。
最後に、オランダの自称”国内最小”のブラスバンド、ドゥ・スィンプル・ズィールン(De Simpele Zielen)の〈Bracno Oro〉を紹介します。
(西ヨーロッパのバンドなので、やはり〈Martesa〉ではなく〈Bracno Oro〉です。)
De Simpele Zielen - Bracno Oro
- 演奏 :De Simpele Zielen
- 場所 :Netherland (2015)
このバンドは1990年からこのメンバーで活動しているのだとか。音楽の渋みもさることながら、動画中の写真の笑顔がとても微笑ましいです。自分も老後はこんな風に楽しく過ごせたらなと思ってみたりします。◼️
【今回紹介した曲(音楽ストリーミングで入手可能なもののみ)】
*1:Essential Media Group LLC, FL, USA.
*2:正しくは、Këngët dhe Vallet e Shqipërisë(クングト・ゼ・ヴァレ・テ・シュチーパリース)。
*5:PGP-RTBはセルビアの国営放送ラジオ・テレビ・ベオグラード(RTB)の音楽部門。クロアチアのレコード会社ユーゴトン(Jugoton)と双璧を成す、当時のユーゴスラビア連邦の2大レコード会社の一つ。現在はラジオ・テレビ・セルビア(RTS)が継承。
*6:Music composition and composers in Pristina - Wikipedia
*7:リリース年は不明(1969~1970年頃)。その後1971年にはEMG社が原盤権を所有。その後はおそらく廃盤。2022年、デジタル・リマスター版としてEMG社から再リリース。
*9:Facebook: Colibris - Center for Development, Culture and Education, 2020年11月21日(要Facebookアカウント)
*11:いちおう全文把握していますが出所不明のためここには書きません。知りたい方は個人的にご連絡を。
*13:楽曲タイトルの変更は必ずしも著作権侵害には当たりませんが、著作者のオリジナルのイメージを壊してはいけないので、著作者人格権の範囲で許諾を要する場合があるそうです。