Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

クリヴォ・サドフスコ・ホロ(Krivo Sadovsko Horo / Bulgaria)

今回のテーマはクリヴォ・サドフスコ・ホロです。

ブルガリアです。

 

と言いつつ、まずはバルセロナ・ジプシー・バルカン・オーケストラ(Barcelona Gipsy balKan Orchestra、BGKO) によるクレズマー風アレンジの曲から。

 

www.youtube.com

Krivo Sadovsko Horo - Barcelona Gipsy BalKan Orchestra (Live at Mittelfest, Italy) (2018)

  • 音楽:Barcelona Gipsy BalKan Orchestra
  • アルバム:Avo Kanto
  • レーベル:Satélite K – SATKCD229 (スペイン, 2018)

 

BGKOは、バルカン半島、ロマ、東欧ユダヤの伝統音楽を独自のアプローチで演奏する多国籍音楽バンド。

メンバーはそれぞれスペイン人、イタリア人、フランス人、セルビア人、そしてギリシャ人と様々、さらに入れ替わりで他のミュージシャンが加わるメンバー構成で、2012年にスペインのバルセロナで結成さました。

 

さてBGKOが演奏するこの曲は、たまたま個人の好みでトップに持ってきましたが、本来はクレズマーでもロマ音楽でもありません。

ブルガリアトラキア地方ブルガリア第2の都市プロヴディフ近郊の町サドヴォ(Sadovo)にちなむ、13拍子=QQQSQQ(Q=Quick, S=Slow)の踊り(Horo)の音楽です。

 

 

メロディそのものはブルガリアの伝統音楽ですが、音源としてはブルガリアクラリネット奏者ペトコ・ラデフ(Petko Radev)によるBALKANTONのレコードが初出なのかなと思います。

ペトコ・ラデフは、長年イタリア・ミラノのスカラ座ソリストを務めた、クラシックおよびブルガリアンフォーク音楽の巨匠*1だそうです。

 

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Криво садовско хоро

  • 音楽:Petko Radev (cl.), Ivan Kirev (Ac.)
  • アルバム:Bulgarski narodni hora i ruchenitsi
  • レーベル:BALKANTON 1467 (ブルガリア, 1973)

 

クラリネットアコーディオンの絡みはもちろん、タパン(ブルガリアの大太鼓)の高速連打もカッコ良すぎ(誰か完コピしてくれないかな)。

何度も聞き入ってしまいます。やはり本物はイイ!

 

ホロなのでもちろん踊ります。例えば下の動画のように軽快なステップで踊られます。

 

www.youtube.com

НосиЯ и ТАНЦУВАЙ - Криво садовско хоро
NosiYa i TANTSUVAĬ - Krivo sadovsko horo

  • 主催:Fondatsiya BŬLGARIN
  • 音楽:Orkestŭr Briz

 

この動画はブルガリアフォークロアを学ぶ子供たちを支援するブルガリア財団が主催するフォーク・フェスティバルでのワン・シーンです。

 

最後にもう一つ。

ノルウェーアコーディオン奏者、ビヨルン・ペッテル・トェッセ氏(Bjørn-Petter Tøsse)が現在公開中の2020年のリモート・セッション映像をご紹介。

 

www.youtube.com

Krivo Sadovsko Horo

  • 演奏:Bjørn-Petter Tøsse (Ac), Stojan Stojanov (Cl), Filip Arilon (Tp)
  • 編集:Bjørn-Petter Tøsse

 

アコーディオンクラリネットのテクニックたるや、もう言葉では言い尽くせません。

 

直接人と会うことがはばかられる時代、リモート・セッションの形態は確実に音楽文化の一端に浸透してきたように思います。

リモート・セッションにはまだ技術的な課題もあり、現在はオフラインでの個別動画撮影+映像編集か、または音声のみオンラインにする手法*2が主流かもしれません。

お互いの目を見て息を合わせたり、ジャム・セッションを楽しめるようになるのはもう少しだけ先の話かもしれませんが、いずれはごく一般的な手法のひとつになっていくのでしょう・・

 

・・というような堅い話はおいといて、なによりもこのような動画を通して演奏者たちの巧みな指使いがライブで見るよりよく見えるというのは、楽器経験者にとってはとても興味深いのではないでしょうかね。■

*1:Петко Радев (кларинетист) - УикипедиЯ(Wikipediaブルガリア語版)

*2:YamahaのSyncroomを使えば可能。

イスパンダム(İspandam)/トルコのカラデニズ音楽

今回はトルコのカラデニズ音楽の中から、イルクヌル・ヤクポオルの楽曲イスパンダムを深掘りします。

「カラデニズ(Karadeniz)」は、「カラ」は「黒」、「デニズ」は「海」、すなわち「黒海」という意味です。が、黒海地方の特に東部のフォーク音楽スタイルのことも「カラデニズ」と呼ばれることがあります*1

カラデニズの音楽はテンポの速い2拍子または変拍子で、ホロン(Horon)という地元の独特な舞踊と結びついています。

楽曲紹介

ここで紹介する楽曲のイスパンダム(ispendan)は、オリジナルはトラブゾン南西部周辺に伝わる民謡です。

イルクヌル・ヤクポオル(İlknur Yakupoğlu)による演奏では、歌とカラデニズ・ケメンチェ(以下、単にケメンチェと略記)の他に現代楽器も加え、洗練された雰囲気にアレンジされています。

この楽曲については、現在カランミュージック(Kalan Müzik)から下のミュージックビデオが提供されています。この映像には歌の背景のヒントが含まれています。

まずはケメンチェ独特の響きと7/16拍子(=2+2+3)の軽快なビートに浸りながら、楽曲と映像を鑑賞してみましょう。 

 

www.youtube.com
  • タイトル:İspandam (İspündam)
  • 作詞作曲:anonym
  • 歌/演奏:İlknur Yakupoğlu
  • アルバム:Savalas
  • リリース:DUY PROD. MÜZ, 2011年

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歌詞とその意味

楽曲のタイトルになっている「イスパンダム」とは、黒海地方の方言でシカモア(カエデやプラタナスなど幹が白っぽい落葉広葉樹)を指します。ペルシャ語の「イスフェンダン(isfendan)」に由来しており、「イスパンダム」以外にも「イスペンダン(ispendan)」、「イスペンダム(ispendam)」や「イスピュンダム(ispündam)」とも変化します。

ヤクポオルが生まれ育ったトラブゾントンヤ(Tonya)周辺は、湿気の多いポントス山脈の高地。山々にはアカメカエデやコーカサスブナなどの「白い幹の木々」が自生しています。

まずはこの点に注意して、歌詞の中身を見ていきましょう。

f:id:YelelemAlagoz:20220318124743j:plain
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İspandam

  1. Yol üstünde ispandam
    üstünde benim sevdam
    ヨル イュステュンデ イスパンダム
    イュステュンデ ベニム セヴダム
    (道の上にイスパンダム その上に私の愛)
    Sallan ispandam sallan
    düşsün altına sevdam
    サラン イスパンダム サラン
    デュッスュン アルトゥナ セヴダム
    (揺れなさい イスパンダム 揺れなさい
     落としてください 下へ 私の愛を)

  2. Güneş vuruyi güneş
    hem vuru hem yakayi
    ギュネシュ ヴルイ ギュネシュ
    ヘム ヴル ヘム ヤカイ
    (太陽の光が射し込んでいます 太陽の光が
     射して(心を)燃やしています)
    İspandamın üstünde
    yarim bana bakayi
    イスパンダムン イュステュンデ
    ヤリム バナ バカイ
    (イスパンダムの上で
     私の恋人が私を見ています)

  3. Kuşandığın peştamal
    eniladır enila
    クシャンドゥウン ペシュタマル
    エニラドゥル エニラ
    (腰に巻いているペシュタマルは
     幅広いです 幅広い)
    İspandamın altında
    konuşalım seninla
    イスパンダムン アルトゥンダ
    コヌシャルム セニンラ
    (イスパンダムの下で
     話しましょう あなたと)

  4. Sevdali oldum sana
    bilmeyesin derdumi
    セヴダリ オルドゥム サナ
    ビルメイェスィン デルドゥミ
    (私は愛しました あなたを
     あなたは知りません 私の苦しみを)
    Benden başkası bilmez
    yar senin kyımetini
    ベンデン バシュカス ビレメズ
    ヤル セニン キュメティニ
    (私以外誰も知りません
     愛するあなたの尊さを)

Lyrics: Anonym
Transliterated & translated by Alagoz隊長


トルコ語は日本語と文法が似ており、多くの部分で逐語的に訳すことができます。黒海地方特有の方言などもあり、どれだけ正確に訳せているわかりませんが(間違っていたらお知らせを)、以下は和訳がだいたいあっていると仮定して話を進めます。

 

前述したようにイスパンダムはシカモアの木のことです。

歌の1番では道を覆うイスパンダムの枝葉の上に「私の愛」があり、「私」はイスパンダムに「揺れて私の愛を下に落としてください」とお願いをします。

そして2番では、揺れる木々の隙間から木漏れ日が差し込みます。イスパンダムの木の上では「私の恋人」がその隙間から「私」を見つめています。

ここまで読めば気がつかれたかと思いますが、歌に出てくる「私の愛(sevdam)」や「私の恋人(yarim)*2」は、「太陽」の暗喩になっているのでしょう。太陽の光を浴びて心が燃える*3ような思いなのでしょうか。

歌の3番に出てくるペシュタマル(ペシュテマル(peştemal)とも)はトルコの伝統的な織物でハマム(風呂)の時に体に巻くバスタオルのことです。トラブゾン周辺ではこれをエプロンのように服の上から腰に巻いたりもします。下の写真では女性たちが白と赤紫の太いストライプ柄のペシュタマルを巻いています。

 

pin.it

 

そして4番では、太陽に対する「私」の気持ちが綴られています。「私の苦しみ」が何を意味するのかは特には書かれていませんので、自由に読み解いてみてください。

全体を通してみると、3番だけが他とつながっていないような唐突感があります。もしかしたらオリジナルの民謡はもっと長くて、演奏のために短くアレンジしたということかもしれません。

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ケメンチェとヤクポオル

使用楽器とミュージシャンのことも書いておきましょう。

ケメンチェとは、トルコ・バルカン・中東地域で伝統的な擦弦楽器です。地域によってケメンチェ、カマンチャ(ジョージア)、カマニ(アルメニア)、チリリ(ラズ)、リラ(ギリシャ)、ガドゥルカ(ブルガリア)など、呼び方や形状は様々です。

ここでは黒海地域でメジャーな、細長い箱型をしたカラデニズ・ケメンチェに注目します。カラデニズ・ケメンチェは、他のケメンチェ類と異なり楽器のお尻側を膝やベルトで固定しておかなくてもよく、左手だけで持ちあげて弾くことができます。そのため立ったままでも踊りながらでも演奏できます。

ヤクポオル自身のインスタグラムにわかりやすい動画がありました。この動画で中央の人物がヤクポオル、そして彼女が弾いているのがカラデニズ・ケメンチェです。

 

 
 
 
 
 
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イルクヌル・ヤクポオル(İlknur Yakupoğlu)はトルコのミュージシャン、ケメンチェ奏者です。トラブゾンのトンヤで生まれ、12歳の時からバーラマ(bağlama、サズ)を始めます。90年代は首都アンカラのフォーク音楽合唱団等に参加。その後2000年頃より兄ムハンメト・ヤクポオル(Muhammet Yakupoğlu、ケメンチェ奏者、音楽プロダクション社長)のおかげで地元の音楽をケメンチェで弾くようになります。ヤクポオルは「黒海地域の村の音楽、特に出身地トンヤの女性の歌のレパートリーを積極的に退廃しないようにしている数少ないアーティストの一人*4」として知られています。

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おまけ:イスパンダムと地名

今回紹介した楽曲としてのイスパンダムの話は以上です。

 

なお、今回いろいろ調べるにあたり、「イスパンダムは地名である」という説明を(特に日本語のダンス関係資料などで)ちらほら見かけることがありました。そこでおまけとして、イスパンダムの言葉に関連する地名の話題を少し付け加えて、今回の結びとしたいと思います。

 

地図でイスパンダムという地名を探そうとすると、峠や丘などの地元ローカルなスポットの名前を除いて、実は容易には見つけ出すことができません。理由は、イスパンダムという言葉がペルシャ語由来だからです。

トルコでは共和国成立以降、アラビア語ペルシャ語ギリシャ語などの外来語の地名はトルコ語名に変更されてきました。そのため、かつてイスパンダムと呼ばれていた土地は別の名前に置き換わっているのが普通です。

 

トラブゾンを少し細かく見てみましょう。トラブゾン県は2012年より大都市自治体制へ移行しました。現在のトラブゾン広域市(=県)の区分けは以下の図の通りです。

かつて県都と呼ばれていたトラブゾン市は、現在はオルタヒサル(Ortahisar)区(図の中央付近)になっています。楽曲の話で触れたトンヤ(Tonya)区はトラブゾンの西(図の左手)の方にあります。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/55/Trabzon_districts.png
トラブゾン広域市(県)の区自治

Copyright: No machine-readable author provided. Rarelibra assumed
(based on copyright claims)., Public domain, via Wikimedia Commons

 

この後の話で注目するのは、上の図中のアクチャアバット(Akçaabat)区周辺です。さきほどのオルタヒサル区の西隣に位置します。

アクチャアバットは県で2番目に人口の多い区で、ポントス山脈の中腹から黒海につながる風光明媚な地域です。また、トルコの代表的な伝統舞踊の一つであるホロン(Horon)(下の動画参照、この動画は男性舞踊の例)も、アクチャアバットがその中心地です。

 

youtu.be
  • 伝統舞踊 ホロン(Karadeniz Erkek Horonu)
    Kemence Okayamada2 ケメンチェin岡山

 

トルコ語名へ改称される前のアクチャアバット周辺には、シカモア(カエデやプラタナスなど)に関連した外来語由来の地名がいくつも見つかります。

アクチャアバットの北方の海岸近くにはチャタルゼイティン(Çatalzeytin)地区があります。旧名はずばりイスペンダム村でした。

また、アクチャアバットの中心街に近いチュナルク(Çınarık)地区は、文字通りチュナル(çınar)すなわちトルコ語の「プラタナス(シカモア)」です。改称前はレフカ(Lefka)と呼ばれていました。こちらはギリシャ語で「カエデ」です。

さらに、そもそもアクチャアバット(Akçaabat)が改称前はプラタナ(Platana)と呼ばれていました。ギリシャ語で「プラタナス(シカモア)」の意味です。この土地の人々がシカモアの木を崇拝していたことが地名の由来です*5

 

こうしてみると、アクチャアバット一帯は確かに「イスパンダム」と密接に関連しているようです。

 

今回紹介した7/16拍子の楽曲に、アクチャアバット周辺の伝統的なホロンのスタイルでダンスの振り付けをするとしたら、そのダンスのタイトルにも「イスパンダム」と名付けるのはごく自然でしょう。ちょっと異国情緒的な響きが粋でとても良い感じがします。⬛︎

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*1:Turkish Music Styles | Toros Delights

*2:「yar」は標準トルコ語では「半分」という意味だが、ここではペルシャ語由来の「恋人」の意味であることに注意。「yar-im」は「私の-恋人」。

*3:「yakai」(yakıyorの方言または女言葉かもしれない、原形:yakmak)は物理的に物を「焼く、燃やす」という意味だけでなく、「心を燃やす」という意味もある。日光で肌を「焼く、焦がす(yanımak)」という意味は含まれない。

*4:Bates, Eliot (2016). Digital Tradition: Arrangement and Labor in Istanbul's Recording Studio Culture. Oxford University Press.

*5:Akçaabat Tarihçesi | Akçaabat Belediyesi(アクチャアバットの歴史|アクチャアバット区自治体)

コトリャレフスキーへの鎮魂歌

現在厳しい状況に置かれているウクライナに少しでも関心を寄せてもらえればと、今回はウクライナの伝統楽器バンドゥーラと、それを演奏するウクライナ出身のバンドゥーラ奏者、ナターシャ・グジー(Natarya Gudziy)さんの歌に注目します。

急ごしらえですが、今少しでも自分にできることとして、私なりに紹介します。

 

www.youtube.com

題名:コトリャレフスキーへの鎮魂歌(レクイエム)
詩 :タルス・シェフチェンコ(1838)
作曲:ナターシャ・グジー

 

タルス・シェフチェンコ(Taras Grigorovich Shevchenko)は19世紀のウクライナの国民的詩人です。時代背景は19世紀の帝政ロシア。この当時、ウクライナはロシアの一部とされており、ウクライナの人々はロシアの圧政下にありました。そのような中でのウクライナの人々の悲しみや憂いを、シェフチェンコは詩に書きました*1

上の動画の歌詞には、シェフチェンコの詩集「コブザーリ(Kobzari)」の一節「コトリャレフスキーの永遠の記憶に(Na vichnu pam'yatʹ Kotlyarevsʹkomu*2)」の一部が使われています。歌はウクライナ語で歌われますが、動画中に日本語字幕がついています。一部を書き出すと

正義の魂よ
未熟だが わたしの真心を込めた
この言葉を 受けとめ受け入れたまえ
あなたは地上を去ったが
孤児を置き去らないで
ここへ来て ひとことで良いから
母なるウクライナのことを
謳いたまえ

あなたが貧しい孤児の家に コザックたちの栄光の
そのすべてを言葉にして伝えたのを見たときのように
異郷にいる私の心を微笑ませたまえ
たった一度微笑めれば それでいい

Translated by Nataliya Gudziy

(全文は動画字幕参照のこと)


またYouTubeの説明欄には

ウクライナの詩人 T. シェフチェンコが、ロシアのペテルブルクに送られ、アカデミーで学んでいたとき、コトリャレフスキーの死を知り、嘆き悲しんで著した詩の一部(1838年)。当時、ウクライナはロシアに虐げられ、ウクライナ語は禁止されていたが、コトリャレフスキーは、ウクライナ語で民族の魂を謳い続けた。

と記されています。

日本の報道等では「ロシアとウクライナは兄弟」というような説明をよく聞きます。しかし中央で専制政治権力を握るロシアとコサックが馬を駆る辺境の大草原のウクライナとでは、人々の意識にも温度差が生じるのは当然のこと。ウクライナが今なぜ独立を死守したいのか、シェフチェンコの詩が物語っているように思います。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5d/Birko_bandura1.jpg/360px-Birko_bandura1.jpg
A Kharkiv-style bandura made by Andrij Birko, 2008
Beerco666, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

次に、ウクライナの伝統楽器バンドゥーラについて。バンドゥーラは、上の写真のようにリュートと琴を合わせたような外見をしています。50から60までの弦が半音階で5オクターブに渡って調律されており、膝の上に構えて、高音を右手で、低音を左手で弾きます。コブツァーリと呼ばれる主に盲人の演奏者が各地を巡回し、ドゥーマと呼ばれる叙事詩等が歌われていた*3とのことです。日本で言えば琵琶法師のような感じでしょうか。

それにしても、ピアノやアコーディオンのように両手のそれぞれで弾き分けられるのはとても便利そう。もっとメジャーな楽器になっても良いのでは?

 

最後に、バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)さんについて。ウクライナ出身。6歳の時にチェルノブイリ原発事故で被曝。その後避難生活で各地を転々とし、キエフ(キーィウ)市に移住したそうです。8歳のころから音楽学校でバンドゥーラを学び、2000年に日本で本格的な音楽活動を始めたとのこと。

大変失礼ながら、このような方が長年日本で活躍されていたことを、私は知りませんでした。

ナターシャ・グジーさんは現在、コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で活躍しているとのこと。作品は日本人向けのわかりやすい曲が多い感じです。逆にガチガチのウクライナ民謡だったり(私好みの?)バンドゥーラ超絶技巧というのはなさそうですが、これを機に他の作品も聴いてみたいと思います。

 

www.office-zirka.com

 

黒海の北側に面するウクライナに、少しでも多くの人に関心を持ってもらえれば幸いです。

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