Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

ディナタ/ホームカミング(Dynata / Homecoming)【後編】

前回はギリシャの歌手エレフセリア・アルヴァニターキ(Eleftheria Arvanitaki)が歌うディナタ(Dynata)という曲を紹介しました。アテネ・オリンピック 2004の閉会式でも歌われたこのディナタの、その歌詞に秘められた想い、そしてどこか”異国”の雰囲気を醸し出す音楽演奏について触れました。

今回は、その演奏に使われているインストゥルメンタル楽曲、アラ・ディンクジアン(Ara Dinkjian)ホームカミング(Homecoming)に焦点をあててみたいと思います。

 

前回の記事はこちらを参照のこと。

 

balkankokkaimusic.hatenablog.com

 

ホームカミングは、もとはアラ・ディンクジアンが1986年に立ち上げたエスノ=ジャズ・カルテット、ナイト・アーク(Night Ark)によるものです。レコード・アルバム「ピクチャ(Picture)」の中に収録されました。

その公式サイトは残念ながら存在しませんでしたので(非公式のものは幾つかありますが)、2017年に米プリンストン大学で開催されたライブ・コンサートの公式動画から始めましょう。

 

下の動画は、アラ・ディンクジアン率いるザ・シークレット・トリオ(The Secret Trio)と、ニューヨーク・ジプシー・オールスターズ(NY Gypsy All Stars)によるライブ*1のビデオクリップの一つです。

(注:アナ・トリ・ヤ(Anna Tol Ya)とホームカミングの2曲メドレーになっています。長いので、適宜スライドバーを動かして見てください。ホームカミングは4分30秒あたりから始まります。)

 

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ザ・シークレット・トリオは、アラ・ディンクジアン(中央、ウード*2 )、イスマイル・ルマノフスキ(Ismail Lumanovski;右側、クラリネット*3 )そしてタメル・プナルバシュ(Tamer Pınarbaşı;左側、カーヌーン*4 )の3人で構成。伝統的なメロディーに、中東の微分音、バルカン・ダンス・ビート、ジャズ、ロック、クラシックなどの要素を融合させたオリジナル楽曲を演奏しています。

 

 

さて、話題の転換はここからです。

このホームカミングに最初に歌詞を付けて歌ったのは、エレフセリア・アルヴァニターキではなく、実はトルコの歌姫セゼン・アクス(Sezen Aksu)の方が先でした。

「サルシュン(Sarışın *5 )」という曲で、エレフセリアのディナタよりも3年早い1988年のことでした。歌詞もディナタとは異なります。

 

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後にトルコ・ポップス界の「女帝」とまで称されるセゼン・アクスにとってこの1980年代後半〜90年代は、アルメニア系トルコ人音楽プロデューサーのオンノ・トゥンチ(Onno Tunç)と組んでヨーロッパで成功をつかんだ時期にあたります*6。上記で紹介したホームカミングとセゼンの歌声の組み合わせは、オンノがプロデュースしたセゼンのアルバム「Sezen Aksu '88の中で実現しました。

 

さらに1988年のセゼンのサルシュン、次いで1991年のエレフセリアのディナタの後、1993年にはイスラエルのテレビのコメディ・ショー番組「ハハミシア・ハカメリト(Hahamishia Hakamerit)」のテーマ曲に起用されました。

ホロコーストなど敏感なテーマを風刺的に描くこの番組では、ホームカミングが番組の始まりと終わり、そしてストーリーの切り替えの合図になっていました。必ずしも人気番組というわけではなかったようですが、1993年から1997年までの間に計5シーズンの長期にわたって放送されました。

 

その後も、フランス(Demis Roussos、1997年)、スウェーデン(Antique、1999年)、ロシア(Filip Kirkorov、2000年)、スペイン(Hakim、2001年)、ルーマニア(Thera、2001年)、トルコ(Gülşen、2004年)、アルメニア(Marten Yorgantz、2006年)、ブラジル(Demis Roussos、2011年)、ギリシャ(多数)で、続々とディナタ/ホームカミングのカバー曲がリリースされていきました。

これらの中でも特に注目したいのは、ギリシャ系スウェーデン人で北欧ダンス・ポップ・デュオのアンティーク(Antique)です。1999年にセカンド・シングルとしてリリースされた「ディナタ・ディナタ」が、スウェーデン、イタリア、ルーマニアでそれぞれ国内チャート・トップ10入りを果たしました。

 

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ということで、後半は駆け足であっちこっち飛んでしまいましたが、ざっくりまとめると・・

 

アルメニア系アメリカ人のアラ・ディンクジアンの楽曲である「ホームカミング」は、ギリシャ語の歌詞が与えられて「ディナタ」となり、ギリシャの国民的な歌として親しまれました。

さらに、トルコやヨーロッパを中心に世界のアーティストたちにカバーされ、それぞれの国でヒット・チャート入りを果たし人気を博しました。

それだけに「ディナタ/ホームカミング」は、世界の大舞台のオリンピック閉会式を飾るにふさわしいギリシャ代表の曲に選ばれたのではないかと推察します。

 

 

最後に、

本記事【前編】で「あれれ?」だったあの人:

 


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この方は、アメリカを拠点に活動するマルチ楽器奏者、アルト・トゥンチボヤジアン(Arto Tunçboyacıyan)アルメニア系トルコ人で、最初に触れたアラ・ディンクジアン率いるナイト・アークのメンバーの一人でした。

 

何かお気づきになりましたでしょうか?

今回の話題の転換点だったセゼン・アクスの歌の音楽プロデューサーが、アルメニア系トルコ人のオンノ・トゥンチでしたよね。

 

そうです。

実は、アルト・トゥンチボヤジアンはオンノ・トゥンチの弟です。

こんなところで人脈がつながりました。

 

アルト・トゥンチボヤジアンは、アラ・ディンクジアンとセゼン・アクスを結びつけ、ホームカミングを世界的成功へと導いた陰の功労者。今回の話題のキーパーソンだったわけですね。

 

そうとは知らず「あれれ?」呼ばわりしてしまいました。すみません。今度は真剣に非言語パフォーマンスも拝聴しようと思います。■

 

*1:Live "Ara Dinkjian: Both Sides Now" featuring Secret Trio & NY Gypsy All Stars, Princeton University, March 12, 2017

*2:Oud、Ud。中東地域の撥弦楽器の一つ。姿形はヨーロッパのリュートとよく似ているが、フレットがない。ベリーダンスでよく用いられる弦楽器ということもあり、日本でも比較的知名度が高い。

*3:Low G Clarinet。特に民族楽器と言うわけではないが、バルカン半島南部~トルコ周辺では低音のG管がよく用いられる。日本で一般的なB♭管やA管よりも10cm程度長い。キー・システムはアルバート式。

*4:Qanun、Kanun。中東地域の箏(こと)の一種。両手の指で爪弾いて音を出す。横に張られた弦の左端に付随する金具(マンデル、機能は琴柱(ことじ)に類似)を立てたり倒したりしてチューニング(微分音含む)をダイナミックに切り替えることができる。Tamer Pınarbaşıは76弦のカーヌーンを使用。

*5:Sarışın=金髪。タイトルは「Gel Gel Sarışınım(きてきて、私はブロンド)」とも。

*6:「トルコ音楽の700年」関口義人著、DU BOOKS、2016年

ディナタ/ホームカミング(Dynata / Homecoming)【前編】

今回はちょっと趣向を変えて、最初に アテネ・オリンピック 2004 の閉会式のワン・シーンから始めます。閉会式のオフィシャル動画がありましたので、まずはそのシーンを見てみましょう。

閉会式の最終盤、オリンピック旗降納、聖火消灯に続いて、ギリシャを代表する6人の歌手がスタジアム中央に登場、そして今回のテーマの歌のシーン(2:31:20あたり)が始まります。

 

www.youtube.com

 

「ディナター、ディナター」の歌声に合わせて、会場周囲に無数の花火が打ち上ります。このシーンだけでもなかなか見ごたえがあります。

 

お待たせしました。今回のテーマはディナタ(Dynata または Dinata)です。ギリシャではおそらく最も国民に愛されている歌の一つでしょう。

 

ギリシャのポップスター、エレフセリア・アルヴァニターキ(Elefthería Arvanitáki)が歌うこの曲は、ギリシャで最も著名な作詞家の一人として知られるリーナ・ニコラコプール(Lína Nikolakopoúlou)と、世界で最も優れたウード奏者の一人、ミュージシャンのアラ・ディンクジアン(Ara Dinkjian)によって制作された、あちこち「最も」だらけの贅沢な楽曲です。

フル・コーラスは下のオフィシャル動画で聴くことができます。

 

youtu.beΕλευθερία Αρβανιτάκη - Δυνατά
Eleftheria Arvanitaki - Dynata - Official Video Clip

  • 歌 :Eleftheria Arvanitáki
  • 作詞:Lína Nikolakopoúlou
  • 作曲:Ara Dinkjian
  • イベント:Zontaná Stous Vráchous - Kalokaíri '95(Live in the Rocks - Summer '95)
  • 場所・時:Théatro Vráchon Melína Merkoúri(Melina Mercouri Open Air Theatre)アテネ、1995
  • 映像出典:COBALT MUSIC

 

イントロはちょっと「あれれ?」と思うかもしれませんが、それはおいといて、アルヴァニターキの後ろでジュンビュシュ(Cümbüş)というバンジョーに似たトルコの弦楽器を弾いているのがアラ・ディンクジアン本人です。

 

youtu.been.wikipedia.org

 

「ディナタ」は ギリシャ語で「可能なを意味します。特に歌のサビの部分では「ディナター、ディナター(可能だ、可能だ)」と連呼しています。

ちょっとだけ、引用の範囲で歌詞の一部を紹介すると、

Dynatá, dynatá
gínan óla dynatá t' adýnata
 可能だ、可能だ
 不可能なことがすべて可能になった

Ki anamméno pet
spírto i gi ston ouranó
 そして大地は空に
 火のついたマッチを投げる

Dynatá, dynatá
ki ópos páne tou choroú ta vímata
 可能だ、可能だ
 そしてダンスのステップが進むにつれて

me ta chéria anoichtá
óla ta perifronó
 両腕を広げたまま
 それらすべてを(私は)軽蔑する

詞:Lína Nikolakopoúlou
訳: Alagöz隊長

これは歌詞のサビの部分です。一語一語はとてもシンプルですが、その表現は抽象的、あるいは隠喩的で、そこには大きな時流のうねりと心の葛藤が織り込まれています。

実際、この歌詞は少し奇妙な状況で書かれたようです。リーナ・ニコラコプールによれば「1991年に起こった湾岸戦争でミサイルが発射されるテレビ報道を見てこの歌詞が生まれた」*1とのこと。上記のサビの二段落目の「大地は空に火のついたマッチを投げる」に、その出来事が暗に表現されています。

苦難にじっと耐えたのちに可能性は開ける。しかしすべてが可能になる一方で内なる破滅は進み再び苦難を迎える。どこに希望の光が差しているかはわからないけれど、それでも高く見上げて諦めないこと、それがこの歌の趣旨ではないかと思います。

 

さて、ここまではギリシャでのお話でした。しかしこの音楽にはまだ別の話が続きます。

 

今度はディナタの音楽(演奏)の方に注目してみましょう。

この音楽は、もとはアラ・ディンクジアンが作曲し自身のバンド・グループで演奏したホームカミング(Homecoming(帰郷))という1986年のインストゥルメンタル楽曲です。つまり、もともとディナタの歌のために作曲されたものではないのです。

そもそも、アラ・ディンクジアン自身はギリシャ人ではありません。アルメニアアメリカ人です。またホームカミングという楽曲も、ギリシャ人やギリシャに関する出来事を思い描いた作品ではありません。使用される楽器もギリシャの隣のトルコや西アジア地域の民族楽器が主に用いられます。

 

そのような、ある意味“異国”の音楽をベースにしたディナタが、なぜオリンピック閉会式でトリを飾るギリシャ代表の曲の一つに選ばれたのでしょうか?

 

今回はここまで。

この続きは【後編】で。◼️

 

*1:Dinata Dinata – Eleftheria Arvanitaki, Greek music Greek songs [link]

カンドロ(Kandoro / Serbia)

今回はセルビアの曲から選んでみました。といってもまだユーゴスラビア*1時代の曲なのでちょっと古い(いつものこと?)ですが、カンドロ(Kandoro)というアコーディオンの曲を掘り起こします。

 

www.youtube.com

Bata Kanda - Kandoro - (Audio 1973) HD

  • 演奏:Bata Kanda (Vladeta Kandić)
  • 作曲:Vladeta Kandić
  • 収録レコード:Šiljkan, Srce Šumadije / B面
  • レーベル、他:PGP RTB – S 10 153 (ユーゴスラビア, 1973)

 

カンダラ~!!

 

めちゃめちゃあやしい。

セルビアのフォーク音楽がみんなこんな感じということではありませんので、誤解なきよう。

 

カンドロは、1960〜90年代、旧ユーゴスラビアで活躍したアコーディオン奏者、ヴラデタ・カンディチ(Vladeta Kandić)(別名:バタ・カンダ(Bata Kanda))の代表曲の一つです。

 

ヴラデタ・カンディチは、1938年、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラード生まれのセルビア人。音楽学校、第二男子ギムナジウムを卒業後、二十歳前にAKUDブランコ・クルスマノヴィチ(AKUD*2 Branko Krsmanović)楽団のメンバーになります。当時セルビアで最も有名なアコーディオン奏者のミオドゥラグ・トドロヴィチ・クルネヴァツ(Miodrag Todorović Krnjevac)およびラドイカ・ジヴコヴィチ(Radojka Živković)に師事。世界中を周り5000回の公演に出演し、セルビアの音楽だけでなくルーマニアマケドニアの音楽も演奏したりジャズにも挑戦しました。またRTS*3交響楽団と協力して多数の曲を作曲しています。以上、 Владета Кандић -Wikipedia セルビア語版 より。

 

ふぅ。さて話をカンドロに戻します。

曲名は、見ての通り、自身のパフォーマー名「バタ・カンダ(Bata Kanda)」から取っています。

 

自分の名前をタイトルにするくらいだからよほどの自信作なのだろうと思いきや、1973年リリースの7インチ・シングル「シリカン・スルツェ・シュマディイェ(Šiljkan, Srce Šumadije)」のレコード・ジャケットの表にはカンドロのタイトルが記されていません(裏面にはあります)。

なんと、B面の曲だったんですね。

 

レコード・ジャケット写真はこちら↓を参照。

www.discogs.com

最近のKandoro演奏の例としては、セルビアの音楽バンド、エスノ・フューエル(Ethno Fuel)の2016年のライブの模様がありました。

会場すごい盛り上がり。

セルビアではよほど有名な曲なのでしょうかね。

 

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バルカン音楽では、速弾きや変拍子に加えて、独特な装飾音が妙味の一つと言えるでしょう。

しかしこの装飾音は、西洋音楽の楽譜記法ではうまく表現できません。

自分でも楽器を構え、何度も音楽を聴いてはそれっぽく指をウネウネしてみるのですが、なかなかバルカンらしい雰囲気がつかめず、悩ましいところ。

 

そんな中、カンドロを一音一音ゆっくり弾いて見せてくれている動画がありました。探せばあるもんですね。

この動画では1分46秒あたりからゆっくりバージョンを弾いてくれています。

 

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それで見た感想は、というと・・・

わからんもんはゆっくりやってもやっぱりわからん。

というところでしょうか。

 

やはり王道はなさそうで、何度も繰り返し練習して体得するしかないように思いました。■

*1:発音的には「ヴィ」と書くのが近いですが、ここでは慣用的な表現に倣ってに「ビ」を用いています。他も同様。

*2:アカデミー文化芸術協会の略。

*3:RTSはRadio-Televizija Srbije(ラジオ=テレビ・セルビア)、セルビアの国営放送局。ただし訳注として、当時はユーゴスラビアで、RTB(ラジオ=テレビ・ベオグラード)が正しいのではないかと思われます。