Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Mona Mona (No.3)

モナ・モナの3回目です。前回はヘムシン方言で歌われるこの歌の日本語訳に挑戦し、その意味を読み解きました。しかし謎はまだまだ深そうです。今回は残りの謎解きをしてみます。

 

歌詞とその意味については、前回の記事をご覧ください。

balkankokkaimusic.hatenablog.com

 

前回この歌には何か別の背景がありそうだと書きましたが、何があるのでしょうか。

その手掛かりが次の動画に隠れていました。アルメニアのフォーク歌手のクリスティナ・サハキャン(Kristina Sahakyan)YouTube動画トゥン・サリ・マゼド・サリ(tun sari mazed sari)という曲です。

 

www.youtube.com

 

すっごいいい^^

5/8拍子のゆったりした静かな曲です。よく眠れそう。
ぜひ聴いてみてください。

 

この動画の説明欄には歌詞とその訳がアルメニア語で記されていました(モナ・モナの日本語訳作業でもこれを参考にしました)。モナ・モナとの違いは、発音と繰り返しの場所を除いて、最初の歌い出しの部分だけです*1

 

興味深いのはこの曲のタイトルです。「トゥン・サリ・マゼド・サリ(tun sari mazed sari)」とは「ドゥン・サリ・マゼド・サリ(Dun՝ sari, mazəd՝ sari)」のこと。つまりモナ・モナの歌詞の第2段落の最初の「あなたはブロンド、髪はブロンド」のところです。第2段落の中ではどの文脈にもつながらず浮いた感じだったこのフレーズが、なぜ曲のタイトルにまで用いられているのでしょうか?何か深い意味があったのでしょうか?

これにはヘムシンの女性のしきたりを少し理解する必要があると思われます。

 

ヘムシンの女性の装束で、頭にまくスカーフはとても特徴的です。イスラームの女性が髪を隠すのは当然のことですが、ヘムシン人の場合は「ヘムシン・プシスィ(Hemşin Puşisi、ヘムシンのスカーフ)」といって、長いスカーフを二枚重ねにしてしっかりと頭全体に巻きつけて髪をすべて隠します。

ちょうど図解入りでわかりやすい日本語のブログ記事(Chihiroさんの「Çeyiz/チェイズ」)がありました(本当は前髪も隠すのが普通)。ご参考までに。

 

cheyiz.sblo.jp

 

ということは、Mona Mona (No.1) の記事で紹介した

 

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画像出典:YouTube /
Aram Movsisyan ft. Norayr Kartashyan and Van project Mona Mona

 

という姿*2はではなく、

 

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画像出典: https://www.flickr.com/photos/charlesfred/, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

 

のように髪をがっちりガードするが正しい、とういうことになります。

なんかちょっと残念。

 

しかし、そうだとするとモナ・モナの歌で女の子がブロンドであることを、男の子はどうやって知り得たのでしょうか?

たとえスカーフのわきからちらっと見えていたとして、二度も歌に詠みこまれるほど感動的な話でしょうか?ましてや歌のタイトルにまで持ち上げられるものなのでしょうか?

そもそも、ほとんどのアルメニア人がキリスト教アルメニア使徒教会)であるのに対し、トルコのヘムシン人はムスリムです。15世紀にオスマン帝国に征服される中でイスラームに改宗して以来今日に至ります。イスラームの伝統的な農村社会では女性が家族以外の男性に髪を見せることは原則禁止*3です。ヘムシンの女性は、トルコが世俗化を目指して共和制になった今日も、伝統習俗として上記のように髪をスカーフでぐるぐる巻きにしています。

なので、男の子が女の子の髪を見て感動に浸るという情景は、屋外で偶然出会ったとするとどうも想像しにくいのです。

つじつまを合わせるためには、女の子はスカーフを外せる状況にあった、すなわち女の子は家かどこか、家族以外の人目につかない場所にいたと考えるのが自然でしょう。そして、そのような女の子にこっそり話しかける男の子が、女の子と初対面のはずがありません。ましてや、男の子は周りの家族に聞かれないようにどうやって女の子に話しかけることができるのでしょうか?

 

この歌には、本来それ相当の状況設定なり問題提起があるべきなのです。おそらくもっと長い物語があって、その一部がこの曲で歌われているのではないかと推測します。しかしこの謎については未解明です。

 

いずれにしても「トゥン・サリ・マゼド・サリ」というフレーズ自体には、やはり深い意味があったとは言えるようです。

 

ところでこのサハキャンの動画では、説明文の最後に

ハムシェン方言のホパ下位方言での歌の記録と翻訳:セルゲイ・ヴァルダニャン(Sergey Vardanyan)

と書いてありました。歌の出どころを示す重要な一文です。

この民謡がホパ方言であること、すなわちホパ・ヘムシン人という、トルコ北東部のホパ地区周辺のヘムシン人に絞られたこと、そして今まで一度も登場してこなかったキーパーソンが浮かび上がってきたことで、一気にこの歌の核心に迫れるような気がしてきました・・・

 

というところで、この続きはまた次回で。

次回(No.4)はこちら

balkankokkaimusic.hatenablog.com

 

2021年10月17日追記:
トゥン・サリ・マゼド・サリの第1段落の解釈に疑問が残るため、関係するところ(推察の部分)を一旦削除しました。つじつま合わせのために答えを急ぐ必要はないので、ここは謎のままにしておきます。新たな手掛かりが見つかったらそのときにまた検証したいと思います。

*1:モヴシシャンのモナ・モナの「イリケド・マニル!マニル!(Ilikd Mani'r Mani'r)」のフレーズは、私がモヴシシャンのビデオを見て追加したものです。

*2:ミュージックビデオ製作上の演出と思われます。

*3:信仰の度合い、時代、地域、民俗性によっても異なるので、一概には言えません。