Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Mona Mona (No.5)

前回は、クリスティナ・サハキャン(Kristina Sahakyan)が歌うトゥン・サリ・マゼド・サリが、ハムシェンの歌手ギョハン・ビルベン(Gökhan Birben)の曲のカバーであったこと、その歌詞をアルメニア語に訳したのが民族誌学者のセルゲイ・ヴァルダニャン(Sergey Vardanyan)だったこと、そして「マドモネド・モナ(Madmoned Mona)」が、実は人名ではなく、「紡錘を回せ」すなわち「イリケド・マニル(Ilikd Mani’r)」と同じ意味であるということを突き止めました。

今回はいよいよ最終回、モナ・モナの第1段落にあったストーリーの飛びの謎に迫ります。

 

前回の内容はこちら

balkankokkaimusic.hatenablog.com

 

最初に、モナ・モナ(2016年)の歌詞の第1段落を、もう一度確認してみましょう。

 

Mona Mona (Aram Movsisyan / Norayr Kartasyan & VanProject, 2016)

soundcloud.com

Ustets’i es? ustets’i,
 ウステつぃ エス? ウステつぃ
Yes janch’e ch’kartsi k’ezi,
 イェス ヂャンちぇ ちかルつぃ けズィ
K’a yes k’ezi arrnoghum,
 か イェス けズィ アるノぐム
Khabre mi hoza-hona.
 はブレ ミ ホザ-ホナ

訳:
どこから来たの?どこから
僕は君を知らなかった
女の子、僕は君を奪うでしょう
あちこちで言わないで

(第2段落以降は発音以外ビルベンのトゥン・サリ・マゼド・サリと同じ。)
Romanized and Translated in Japanese by Yelelem Alagöz

 

第1段落上2行は男の子が女の子に出会うシーン、下の2行(ビルベンのトゥン・サリ・マゼド・サリと同じ)は男の子が女の子に駆け落ちの意思を伝えるシーンです。なぜ出会ったばかりでいきなり駆け落ちの話になるのか、話がちょっと飛びすぎではないか、という疑問がありました(Mona Mona (No.2)の第1段落の解釈をご参照のこと)。

 

ここで、モナ・モナより2年早い、カルタシャン&Van Projectのマドモネド・モナ(2014年)の第1段落を書き出してみます。

 

Madmoned Mona (Norayr Kartasyan & VanProject, 2014)

www.youtube.com

Ustets’i es? ustets’i,
 ウステつぃ エス? ウステつぃ
Yes janch’e ch’k’arts’i k’ezi,
 イェス ヂャンちぇ ちかルつぃ けズィ
Millat’es dushman aran,
 ミラてス ドゥシュマン アラン
Haz ayi diye k’ezi.
 ハズ アイ ディイェ けズィ

訳:
どこから来たの?どこから
僕は君を知らなかった
人々は敵になった
君を好きになったから

(第2段落以降は発音以外ビルベンのトゥン・サリ・マゼド・サリと同じ。)
Romanized and Translated in Japanese by Yelelem Alagöz

 

気づいていましたでしょうか?
実は、モナ・モナとマドモネド・モナは後半2行(赤色の部分)が異なっていたのです。

 

マドモネド・モナの日本語訳では、男の子が女の子に初めて出会い、そして恋に落ちたために人々が敵になったと読み取れます。ここで人々とは、女の子の周辺の人々、家族や同じ集落の人々ということでしょうか。

前半と後半はちゃんとつながっているように見えます。状況設定、問題提起がきちんとでき上っています。

 

さて、そろそろ種明かしをしましょう。

 

ヘムシンの民謡は一般に四行連句(quatrain)の形式の詩で構成されています。マドモネド・モナの第1段落も上記の4行でもともとワンセットの詩になっていたのです。一方、モナ・モナの方はこの形式を(意図的に?)崩して、ビルベンのトゥン・サリ・マゼド・サリとミックスにしているというわけです。

実際このマドモネド・モナの第1段落の詩は、トルコ・アルトヴィン県ホパ出身のヘムシン人歌手、アルタン・ジヴェレク(Altan Civelek)が歌う同タイトルの「マドモネド・モナ(Madmoned Mona)」(または「マドモン(Madmon)」とも)の第1段落でも歌われています*1(第2段落以降はカルタシャンのとはまったく異なります)。

 

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アルタン・ジヴェレク「マドモネド・モナ」 *2

 

カルタシャンがモナ・モナで第1段落の下2行を書き替えた理由はわかりません。歌詞に問題があったのか、カルタシャンがアラム・モヴシシャンに楽曲提供するにあたって権利上少し変更する必要があったのか、または別の理由なのか、確かな情報はありません。

 

もし歌詞そのものに問題があるとすれば、「Millat’es dushman aran, haz ayi diye k’ezi(恋に落ちたために人々が敵になった)」という内容が歌全体の印象として何か良くなかったのかもしれません。

家族など周囲の人々が敵になるとすれば、例えば、男の子側の問題(粗暴、経済的自立の可能性が低い、など)、女の子側の問題(許嫁、既婚者、など)、または双方の問題(部族、宗教が異なる、互いに対立関係にある、密通していた、など)が考えられるでしょう。ただし、第2段落では女の子は未婚と読み取れますし、第3段落では男の子は経済的にも自立できそうです。

 

そこでモナ・モナの第2段落の「君はブロンド、髪はブロンド」というフレーズが気になるのです。

 

Mona Mona (Aram Movsisyan / Norayr Kartasyan & VanProject, 2016)

soundcloud.com

Dun՝ sari, mazəd՝ sari,
 ドゥン サり マゼトゥ サり
Terroned hoghol darri,
 テるろネト ホ~ごル ダるり
Ghadvuned kharad korza,
 がドゥヴネト は~らドゥ コるザ
P’aghts’enogh um has dayi.
 ぱぐつぇノぐ ム ハス ダイ

訳:
君はブロンド、髪はブロンド
ドアの前でフクロウのようになって
編み物を編んでいてください
今年連れて逃げるでしょう

Romanized and Translated in Japanese by Yelelem Alagöz

 

以下は推理となりますが、Mona Mona (No.3)で考察したように、普段スカーフでしっかり隠している女の子の髪がブロンドであることを男の子が知り得たとすれば、屋外で偶然出会ったというシチュエーションは考えにくい。一つの可能性として、もし二人が部屋や納屋など同じ屋内の空間にいたとすれば、それは周囲の人々が敵になるというのもうなずけます。イスラームでは、既婚、未婚を問わず密通はタブーですし、そもそも女性が家族以外の男性と同じ部屋にいるだけでも罪に問われることがあります。

マドモネド・モナに使われた第1段落と第2段落の詩は、それぞれ別々のところから取ってきてつなげたものです。しかしこの二つの詩を直接つなげると、第2段落が女の子の美しい有様ではない別の意味にも読み取れてしまい都合が悪かったのではなかろうか。それで後半2行を外して第2段落と意味的に近い「K’a, yes k’ezi arrnogh um. Khabre mi hoza-hona.(女の子、僕は君を奪うでしょう。あちこちで言わないで。)」に入れ替えて、あえて印象をぼかしたのではなかろうか、という推理ができそうです。

あくまで推測です。他にもいろんな推理ができそうです。どうでしょうか?

 

 

モナ・モナの話題が大分長くなってしまいました。最後にまとめとして、各話を簡単に振り返ってみましょう。

  • No.1:モナ・モナとマドモネド・モナ(いずれもカルタシャン&Van Projectの曲)の紹介。アルメニア人をルーツに持つといわれるトルコ北東部のヘムシン人の民謡がもとになっていますが、方言がきつくてアルメニア人にも意味がわからないとのことでした。
  • No.2:ヘムシンの言葉(西アルメニア語の方言)で歌われるモナ・モナの日本語訳に挑戦し、その意味を読み解きました。
  • No.3:クリスティナ・サハキャンのトゥン・サリ・マゼド・サリ(あなたブロンド、髪はブロンド)を曲紹介しました。ヘムシン女性の装束を考慮すると、このタイトルにも深い意味が潜んでいることがわかりました。
  • No.4:トゥン・サリ・マゼド・サリはハムシェン歌手のギョハン・ビルベンが作った曲、民族誌学者のセルゲイ・ヴァルダニャンによるアルメニア語訳、そしてマドモネド・モナが、人名ではなく「紡錘を回せ」という意味だったことを突き止めました。
  • No.5:モナ・モナの第1段落は、本来はもともと四行連句の別の詩があったが、何か理由があって後半2行を書き替えていた。ヘムシン人歌手のアルタン・ジヴェレクが歌うマドモネド・モナにその手掛かりがあった。

本来のヘムシン民謡はモヴシシャンのモナ・モナのミュージックビデオ(下記)の印象とはイメージがずいぶん違うことが、謎解きを進める中で徐々にわかってきました。映像表現に惑わされず、歌詞の意味も踏まえながら綺麗な映像の演出を楽しむのが良いのではないかと思います。

 

まだまだ他にも、ヘムシンの歴史や地理、政治的背景など、話題はいろいろ尽きないのですが、本題の歌の話から逸脱してしまうので、モナ・モナにまつわる話題はこの辺で閉じたいと思います。また機会があれば稿を分けてまとめてみたいと思います。

 

Discography
Aram Movsisyan ft. Norayr Kartashyan and Van project Mona Mona (2016)

www.youtube.com

※Disc情報、商用音楽配信はありません。

*1:カルタシャンのマドモネド・モナの第1段落の日本語訳は、実はアルタン・ジヴェレクのマドモンのトルコ語訳があったのでそちらを参考に訳していました。

*2:ジヴェレクのマドモネド・モナはオーディション用に収録されたものでそのCDは商用リリースされていません。またオフィシャルなYouTube動画や音楽配信もありません。その代わりmp3がフリーで公開されています。トルコにはフリーのmp3ダウンロードサイトが多数ありますが、必ずしも安全性が保証できないので本ブログからのリンクは控えます。本ブログではその代わりになるであろう別のサイト(ヴァルダニャンの「ハムシェンの声」Webページの「オーディオライブラリ (ՁԱՅՆԱԴԱՐԱՆ)」、たぶん安全)から該当mp3へのリンクを引っ張ってきています。このサイトには他にもヘムシン民謡のmp3がいろいろ置いてあります。ご興味ありましたら訪ねてみてください。