Balkan Folk Music Discography

バルカン半島~黒海周辺地域の音楽と踊りを深掘りするブログ

Dirlada - ギリシャ・カリムノス島の漁歌

前回の投稿からだいぶ間があいてしまいました。気がつけばもう夏。毎日暑いですね。

そこで今回は暑い夏と海をイメージして、エーゲ海に浮かぶカリムノス島のとても陽気な歌のDirlada(ディルラダ / Ντιρλαντά (Ntirlanta))を紹介します。

 

最初は1969年~70年頃にギリシャ国内外で大ヒットしたディオニシス・サヴォプロスのDirladaからスタートです。

 

Διονύσης Σαββόπουλος - Ντιρλαντά - Official Audio Release

Dionýsis Savvópoulos, Ntirlantá (Dirlada), To Perivóli Tou Trelloú, Greece, 1969

 

歌い手が1フレーズ歌うごとに周りの仲間たちが「ダーラ、ディルラダダ」と合いの手を入れる、とてもノリのいい歌です。この合いの手の言葉に特定の意味はありません。音楽的なエンディングは特になく、歌い手とコーラスのキャッチボールを延々と繰り返します。

この歌はエーゲ海のトルコに近いカリムノス島で海綿(スポンジ)漁に携わる漁師たちの間で歌われた漁歌で、歌詞にはいろいろなバージョンがあります。そして歌の背景や歌詞にはいろいろな逸話があります。国際的な大ヒットとは裏腹に深刻な著作権問題も生じました。今回はそのあたりを探ってみたいと思います。

 

 

1. カリムノス島と海綿漁業

 

カリムノス島は海綿(スポンジ)漁業で数百年の歴史を持つエーゲ海のスポンジ生産加工の中心地です。島は険しい火山地帯であまり耕作に適していなかったため、スポンジ産業は古くから交易や造船と並んで島の経済を支えてきました。カリムノス島で生産された天然スポンジは柔らかく、ヘルメットの詰め物、浄水器や掃除用具など、さまざまな目的で使用されました。

しかし第二次世界大戦後、合成スポンジの普及や乱獲、疫病による海綿の大量死滅などによりスポンジ産業は急速に衰退して行きます。現在はカリムノス島の主要産業ではなくなりましたが、天然スポンジ加工、取引は今も続いています。

 

海綿漁は漁網を使わない潜水漁です。海底にへばりついている海綿を手で収穫します。元来は素潜りでしたが、スカファンドロというヘルメット式潜水服が開発された19世紀以降は長く深く潜水できるこのスタイルが普及しました。

 

スカファンドロを着て潜水するダイバー

 

海綿漁は極めて過酷な労働でもありました。出漁期間は春先のイースターの頃から10月頃までの間。漁場はカリムノス島の周辺だけでなく、より多くの海綿を求め北アフリカのエジプトからリビア東部あたりまで出漁していました(Dirladaのリズムや掛け声は漁で関係の深かった北アフリカの人々の歌に由来すると言われます)。

暑い太陽の下、逃げ場のない地中海の大海原で船員たちは作業し続けなければなりませんでした。日中はわずかな飲み水だけ持って小さな船に分かれて漁をし、夜は母船に戻って料理人の作る1日1回の食事を取りました。

またダイバーは潜水病の危険と隣り合わせでした。潜水病とは海面へ急浮上するとき血液中の窒素が飽和して泡になり血管を塞いでしまう症状です。血流が悪くなり眠気やだるさで気を失ってしまうと、最悪死につながります。(潜水病による死亡事故が絶えなかったため、このスタイルの海綿漁は1970年に禁止されました。)

そんな厳しい環境に置かれた船員たちを元気づけ、ダイバーたちを目覚めさせるために、船上で繰り返し歌われ続けたのがこのDirladaでした。

 

2. ギニスのDirlada

Dirladaは一般にはカリムノス島周辺の伝統的な民謡とされています。例えば次のPente kai tessera ennia(ペンテ ケ テセラ エニャ(5と4で9))という歌があります。

 

mp3: Hotel ELIES - Panormos - Kalymnos [link]

 

 

しかしおそらく最初にレコードに収められた音源は、パデリス・ギニス(Panteris Ginis)による創作と言われています。ギニスはプロの歌手ではなくカリムノス島出身の漁船の船長でした。

ギニスの歌うDirladaは、ギリシャ民謡の研究者で歌手のドムナ・サミウ(Domna Samiou)の監修でレコーディングされ、1965年にシングル盤レコードとしてリリースされました。

 

Dirlada (the original song) - Captain Pantelis Ginis & his CrewDirlada (the original song) - Captain Pantelis Ginis & his Crew

Movie: Gasha James Dio, 2016

 

 

当時ギリシャ各地の民謡を収集していたサミウはカリムノス島でこの民謡を”発見”し、その後ギニス船長とその仲間の楽団をアテネに招いてレコーディングしました。後年、「このときの音楽家の名前はもう憶えていないが、ギニスの並外れた個性と素晴らしい声は鮮明に記憶に残っている」とサミウは告白しています。

 

3. サヴォプウロスのDirlada

一方、この歌を伝統的な民謡と信じていた(当時)新進気鋭のロック・フォークミュージシャンのディオニシス・サヴォプロス(Dionysis Savvopoulos)は、歌詞の一部をアレンジし、民謡のカバー曲として収録しました。これが冒頭で紹介したYouTube動画のDirladaです。

このDirladaは国の内外で大ヒットしサヴォプロスの知名度を押し上げました。ギリシャ国内ではサッカーチームのスローガンや賛歌となりスタジアムで歌われました。海外にも進出し、日本語版もリリースされました。

 

ところがここで問題が発生します。これは自分の歌であるとして、パデリス・ギニスがサヴォプロスとレコード会社を相手取り訴えを起こしたのです。そして発売されたアルバムを市場から没収し、サヴォプロスの演奏も禁止するよう求めました。

サヴォプロスは「これは伝統的な民謡であり権利は一般の人々にある」と主張しました。「アテネ・アカデミーのフォークロア・アーカイブにも出向いて伝統的な島の歌に登録されていると確認し、ドムナ・サミウから譲ってもらった」曲であると。民謡であると証言できる音楽家ら数人も裁判に出席しました。

裁判で検察官は「ディルラダは申請者ギニスの作曲や創造ではなく、歌の神、霊的創造によるものである。申請者もまた他の歌手と同様にこの歌を歌い演奏しているが、サヴォプロスの歌の流通を禁止することで要求された保護を得られるような知的創造とはみなされない」と結論づけました。最初の段階ではサヴォプロスは裁判に勝っていました。

するとギニスと代理人の弁護士はカリムノス島の島民の約半数を証人として島ごと法廷に担ぎ込みました。さらにその後被告サヴォプロス側証人の記憶にもとづく証言に矛盾があることをギニスの弁護士につかれました。

1970年10月、裁判所はギニスの著作権を認めました。サヴォプロスは賠償を支払うとともに、レコードにはギニスの名前も併記することになりました。

 

下は1973年版シングルレコードのB面レーベルからの引用です。初版(1969年)にはなかった下線部分の1行があらためて書き加わえられています。

 

ΝΤΙΡΛΑΝΤΑ
Σύνθεσις : Π. Γκίνη ή Δημώδες
ΔΙΟΝΥΣΗΣ ΣΑΒΒΟΠΟΥΛΟΣ

ディルランダ
併記:P. ギニ または フォーク
ディオニシス サヴォプロス

 

 

Dirladaの歌詞の著作権をめぐる裁判はこの一度きりでした。

 

4. 世界的 Dirlada ブーム

このディルラダの歌はほかにもたくさんのアーティストによってそれぞれの言語でカバーされました。裁判と同時期の1970年にはイタリア系フランス人歌手のダリダDarla Dirladadaというタイトルのフランス語とイタリア語バージョンをリリースすると、こちらも世界的に大ヒット。歌詞はほとんどギニスのものとは無関係のようです。

 

Darla Dirladada

Dalida, Darla Dirladada, Les années Orlando - L'Intégrale Des Enregistrements, Greece, 1970

 

ギリシャ国内でもこの歌をカバーするアーティストは何人もいました。中でもニコス・クシルリス(Níkos Xyloúris)は特に際立っていました。クシルリスはギニスの歌詞を半分以上書き換えてレコードをリリースしました。

 

Dirlada

Nikos Xilouris, Dirlada, Greece Is Popular And Folk Dances, Greece, 1974

 

そのほか、それぞれの言語でDirladaをカバーしている例として、

  • マルヴァ(Marva, 1970 / オランダ語)
  • ジョルジェ・マリャノヴィッチ(Djordje Marjanovic, 1971 / セルビア語)
  • カイ・ヒュッティネン(Kai Hyttinen, 1972 / フィンランド語)
  • タンジュ・オカン(Tancu Okan, 1972 / トルコ語)
  • ホセ・アルフレド・フエンテス(José Alfredo Fuentes, 1974 / スペイン語(チリ))
  • ・・・

数え上げたらきりがありません。まだほかにも、マケドニア語、ヘブライ語、ルーマニア語のバージョンなどもあります。

 

結局、サヴォプロスの一人負けでした。

 

その後サヴォプロスは1988年の年明けに国営ギリシャ放送協会ERT1で放送されたテレビ特番(下記 Eftychisménos o Kainoúrgios Pónos)で、この法廷闘争やほかの人気を博したアーティストたちへの皮肉を歌詞に込めてDirladaを歌っています。

 

 

ところで、ここまであえて触れてこなかったパデリス・ギニスの歌詞の中身についてですが・・・

 

まあなんて言うか、威勢が良いというか、

品のない歌です(笑)。

 

下記のサイトに歌詞とその詳しい解説(英語)が載っていますので、もしご興味がありましたら眺めてみてください。

 

 

なお、パデリス・ギニスの歌詞はギニス本人の著作物として認められており、著作権は現在もギニスの家族が所有しているとのことです。

 

5. むすび

今回は歌詞を和訳しませんでした。いや半分以上は訳したのですが、引用としてなら書けなくもないのですが、歌詞が実在の人物の名前やら下ネタやらで品がないので、気持ちが前に進みませんでした。

他のバージョンで訳しても良さそうなもの(正真正銘の伝統民謡など)が見つかったらまたいつかトライしてみたいと思います。

 

今回は過酷な労働だの法廷闘争だのと殺伐とした話題が多かったので、最後の1曲はほのぼのした癒し系の映像で締めたいと思います。ギリシャの子供向けストリーミングTVサービス Zouzoúnia TV+(ズズーニャTV+)のオフィシャル動画から、Ntirlanta。

 

Ζουζούνια | Ντιρλαντά

Ntirlanta, Zouzoúnia TV+, Greece, 2017

 

この歌、子供向けでいいのかな?

少し歌詞を変えてはいるけれど・・・  ■

 

参考

  • パデリス・ギニスのDirlada
    • Description of Dirlada ke teza oli | Hotel ELIES - Panormos - Kalymnos [link]
    • Translation of Dirlada ke teza oli | Hotel ELIES - Panormos - Kalymnos [link]
  • カリムノス島の海綿漁と法廷闘争関連
    • Είναι κλεμμένο το "Ντιρλαντά"; Ο Διονύσης Σαββόπουλος απαντά στο NEWS 24/7 [link]
    • Το παραδοσιακό κομμάτι «Ντιρλαντά» της Καλύμνου που έσωζε τους δύτες (video) | Τόποι και Τρόποι [link]
    • Η δικαστική μάχη για το τραγούδι... σύνθημα των ελληνικών γηπέδων είχε χαμένο τον Σαββόπουλο (vid) | PLUS by gazzetta [link]
    • Βίοι Παράλληλοι: Διονύσης Σαββόπουλος - Dalida (Τα Σφουγγάρια και η Dalida) [link]
    • Η ιστορία της δικαστικής διαμάχης του Σαββόπουλου μ' έναν ψαρά απ' την Κάλυμνο για το «Ντιρλαντά» - Μικροπράγματα [link]
    • Οι Δίσκοι | LiFO [link]
  • Dirladaの多言語バージョン
    • Darla dirladada - Wikipedia [link]
    • The Originals © by Arnold Rypens - DIRLADA [link]

 

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隊長Alagöz

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